ブログ企画『ヲタのしみクリスマス2018』

イルミィブログ合同企画『ヲタのしみクリスマス2018』の特設ブログページです

はぐれたオタクの2018

 
皆さまこんばんは。
 
 
 
今回光栄にも主催のなつみさんよりお声がけをいただきまして、イルミィ25名によるブログアドベントカレンダー企画「ヲタのしみクリスマス2018」の18日目を担当させていただきます、ちよ(@otiyo3)と申します。
 
 
MeseMoa.の皆が大好きで、ほぼ箱推しのような気分で過ごしていますが、ことパフォーマンスに関してはどうあがいても目が吸い寄せられてしまう気まぐれプリンスさん推しです。
 
【企画ページ:https://adventar.org/calendars/3354
 
とてもユニークで素敵な愛にあふれた文章が毎日アップされていますので、これまでもこれからも是非じっくりとお楽しみ下さい!
 
 
 
さて私、普段はTwitterで好き勝手沸き散らかすか、たまに動画を見てはブログでやたらと長い感想を書いたりなどしております。
とはいえイルミィとしてブログを書き始めたのは今年に入ってからのこと。
 
今回のテーマは【2018年の推し、2018年のわたし】ということなんですけれども、
 
今年は私にとって、ブログをはじめとして彼らを推すにあたっての『夜明け』の多い年だったように思います。
 
具体的な話をする前に、ひとつ前置きとして私自身の話を少々させてください。
 
私は北海道に住むしがないオタクです。
そして所謂「出戻り」と言いますか「返り咲き」と言いますか、とにかく彼らからいったん離れて戻ってきた経緯があります。
なので知識として知っていてもすっぽりと「実感」として抜けている部分がありますし、彼らのことは結成当初から知っていますが現場に初めて足を運んだのは去年のホールツアーです。
ずっと見てきたわけでもなく、たくさん見てきたわけでもなく、強いて言うならタイミングよく踊り手時代~結成前後の彼らの動画を夢中で見ていたのは事実ですが、正直自分の「ファン歴」の数え方がわかりません。(はっきり戻ってきたと言えるのは去年の4月ごろです)
そんな私が何を語れるのか。文章力も経験も豊かな錚々たるメンバーの中で、いったい何が。正直私なんかでいいんだろうかとあらゆる面でビビり倒しているんですけれども。
 
でもお引き受けしたということは私にも何か「言葉にしたいこと」があるからだ、と思いました。彼らにはたくさんのファンが居て、その一人一人が共通して「彼らのことが好きである」のは事実ですが、逆に言うとそれ以外の同じところのない、それぞれ違った存在であるのだから。比べる気持ちは置いておいて、私は私の目線で、私の生活の中で彼らを好きで居たということを、不肖ながらお話しようと思います。
 
 
 
さて、私が2018年何を初めて経験したのかといいますと。
 
 「初リリイベ」「初撮影会」
 
です。
 
今年の9月初めに、北海道では大きな地震が起こりました。彼らがツアーとリリースイベントをこの地で予定していたのはその月の下旬。余震の影響などもあり、一時は開催すら危ぶまれたのですが、彼らはやってきました。
 
ツアーでは何度か訪れてくれていた北海道ですが、リリースイベントという形では初めて。加えて私も「リリースイベント」というものに自体参加するのは初めてでしたので、何もわからないまま随分と早く会場であるアリオ札幌に到着しました。そしてその日初めてお会いするフォロワーさんに挨拶をしながらそわそわうろうろと数時間を過ごし、まずはリハーサル。
最初混んだ1階を避け3階から見下ろすように眺めていたのですが、やっぱり横からの角度が欲しくて途中から1階に降りました。優先エリアはあっという間に満席になってしまったけれど、運よく見通しの良い角スペースに立つことができ、そのままそこでフリーライブの開催を待つことになりました。
見上げると、1階だけでなく2階にもたくさんの人がホールを取り囲んでいて、皆興奮と期待に声を弾ませていました。それが幾重にも折り重なってそよぎながら天井までびっしり空間を満たしていて。彼らが通路を歩いてくるのが見えた瞬間、その空気が一気にぎゅうっと凝縮され華やかな熱を帯びた歓声となって四方八方へと吹き抜けたのを覚えています。
 
 
ほどなくしてパフォーマンス開始。
その時まであまり意識していなかったのですが、この端のポジションというのは我が推し気まぐれプリンスさんの定位置側。
やった~~~~~!!大正解~~~~~~~!!なんて最初は気楽に沸いて見始めたのですが、しばらくするうちに、ふとあることに気がつきました。
 
はっとして口を噤みます。これは、なんだろう。
一生懸命目の前の光景を目で捉えながら、その正体を追いかけました。ペンライトを握る手にじんわりと汗が滲みます。呼吸が早くなって、不安にも似たざわざわとした感覚が波のように胸の中心に集まり始めたときにわかりました。
 
これは私の心臓の音だ。
 
耳の中まで満たすような大きな心臓の音。脈うち激しく内側から突き上げるようなそれは唐突に何かの蓋を破るようにわっと溢れ、血管を通ってあっという間に全身を駆け巡ります。頭で思うより先に、喉と鼻の間が急に焼けたように引きつりました。
 
あ、私このために生きてたんだ…。
 
この鼓動にはそう思わせるほどの説得力がありました。拠り所という言葉では足りないくらい、細胞全部が「これだ」と叫んでいました。
瞳いっぱいに彼の姿を映し込みながら、私は芯から全部ほどけてしまいそうな心地になって、それをこらえるように唇を噛みしめ、眉間に力を込めて踏ん張りました。
 いつも動画で、Twitterやブログで、配信で、その姿を毎日繰り返し見ているはずなのに、目の前にいる彼の姿はやっぱりそのどれとも違っていて。
 
ライブハウスやホールのステージの明暗とは違う、隅々までさっぱりと明るいショッピングモールの照明に照らされた彼は、圧倒的にみずみずしく鮮明な存在感でそこで踊り、歌い、呼吸をしていました。
 
ひとつひとつの手振りが、表情が、足さばきが。白い首筋に浮かぶ汗、空気を捌いて跳ねる髪の束、自信に満ちて曲線を描く口元、繊細に翻る手のひらと指先が。やさしく震える喉、仲間と目が合ったときの笑顔、会場を丁寧に見まわす視線が。ひとつひとつが迫るようで。もっと、もっとと心が叫び、目を離すことができませんでした。
 
理屈の介入する余地なく、「もっと」を追い求める感覚は、なにかと抑え込みがちな私にとって唯一といっていい「自由」な体験だったのです。
 
 
思えば、チケットをとってからというもの、辛い日も、悲しい日も、疲れた日も。
Twitterを開いてみれば彼らはそこに毎日の出来事を綴り、ニコニコ動画YouTubeでは様々な動画で魅力を迸らせていました。私はそれを見ては「9月にこの人たちのライブがある」「MeseMoa.を見られる」と奮い立つことができました。
彼の躍動する様を見ながらそのひとつひとつの記憶がはらはらとこぼれおち、どこか遠いところへ風でさらわれていくような感覚に陥って、ため息が漏れました。(続いていた余震も随分と私の心を押しつぶしていたことがこの時わかりました)
そして少しずつ、気づかないうちに擦ったり、どこかにひっかけたりして破れ、萎んでくたびれていた心の欠けがぴったりと塞がり、キラキラとした何かが流れ込んで膨らむのを感じました。
 
推し、ってこういうことだ。
生で見るって、とんでもないことだ。
 
今まで知らなかったわけではないのに、新たな言葉のように噛みしめて。
 
同時に、
あぁ、アイドルって。
MeseMoa.って、本当に凄いなあ…。
 
そんな、文字にするとあまりに稚拙な感想を抱きながら笑うような泣くような、おそらく誰かが見たらふき出してしまいそうな変な顔で最後まで私はステージを見つめていました。(ステージからは見えないはず)(見えない設定でお願いします)
 
 
『画面の向こうじゃない 君の目の前で 僕らは生きてる』
 
 
そういえば、初めてリリースしたシングルで、彼らは確かにそう歌っていました。
今年の9月にあのステージで歌い踊る彼らは「生命」そのもので、それは私の「希望」の形によく似ていました。
 
彼らは、あの頃から変わらず、体全部を使って「生きてる」姿を見せてくれていて。そこにすべての答えがあって、それが私の「生きてる」という体感にダイレクトに繋がっていたのです。
 
まさかこんな時間差で、そのことばの威力を受け止める日がくるなんて。あの時は思いもよりませんでした…。
 
「出戻り」と最初にお話しましたが、私が離れていたのは彼らのところからだけではなく、オタク全般からでした。きっともう戻ることはないと思っていました。
詳しい理由については省きますが、私生活がとんでもなく忙しくなってしまったのが大きな要因です。それに対応するために勝手にあれこれわかった”大人”のつもりで「もうオタクは卒業しなくては」と思い込んだのです。
目を閉じれば、耳をふさげば、声を殺せば。
「好き」を思うように味わうことができない葛藤ごとなかったことにして逃げることができる、と思ったのかもしれません。
 
今となってはちゃんちゃらおかしいんですけど。
 
ほんと、何言ってるんでしょうね…。愚かであるとしか言いようがないです。結果的にそれは数年で終わりを告げたのですが。
あの頃の私に会えるなら言ってやりたい「魂がオタクなんだから、そんなとこちぎろうとしたら大量に血液的なものが出てしぬからやめとけ」って。(言葉選び)
振り返ってみると本当にその時期というのはなんとか日々を過ごすことはできていたものの、何かが常に少しずつ漏れ出ていくような、気づかぬうちにゆっくりとすべてのものが色彩を失い緩慢になってゆくのをただ見ているような感覚でした。
 
「好き」に夢中になることが、拙くても言葉にすることが、怖がらず誰かと共有することが。こんなに心を熱く、毎日を豊かにしてくれることに当時はまったく気づいていなかったのです。
なので、オタクをやめる直前の好きなものへの感覚は今とは全然違います。
それまでは基本的に自己完結型というか、ひとり行動も好きな人間なのでひとりで好きになって、ひとりで足を運んで、まあちょっと零れる気持ちをネットなどに壁打ち気味に吐き出して、おしまい。仲間や共感がまったくほしくないわけではないですが、まあそれで十分満足。みたいな。
 
今はできるかぎりもらった感動を表現したいし、共有したいし、出来る限り広めたいし、様々な形でありがとうって伝えたい!!!
少しだってその片鱗を書き記すことによって、「なかったこと」になんかしない。オタクじゃない私なんて私じゃない!!!仮初めの姿で生きてなんになるのか!!!!!!!!!(GEEKDOM歌いながら涙目になるオタクです)
もちろん断然今の方がべらぼうに空気がおいしいです!!!!!!!!!!!
 
は~~~~~~~~~~~オタクライフ最高最高最高~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
 
…。(余韻)
 
 
 
 
急にテンションが上がってしまいましたすみません。
そういった気持ちでこの記事も書かせていただいているところがあります。
とにかく、そんな心境の変化もあってじわりじわりと私は独り言ちるようなツイートから、それを目に留めてくれた誰かと語り合うようになり、こんなにも140文字を連投するくらいなら、とブログを書いてみることにし、去年のホールツアーは単独(正確には直前になってリア友を連れて行きました)でサッとライブだけ見てスッと帰るだったのが、フォロワーさんの励ましなどもありつつ、今年はとうとうツアーに組み込まれている「撮影会」に参加しよう!!!!!という決意にまで辿り着きました。
 
「初撮影会」
 
とはいえここまででえぐめの長さになってしまったのでこの話の詳細はいつか私の個人的なブログででも語ろうと思うのですが。
 
私は接触イベントに興味はあるものの、どうにもあの特有の、洪水のような多幸感の後に訪れる謎の後悔といいますか、自意識過剰さと自己肯定感の低さから沸き起こる悪酔いみたいな二日酔いみたいな気持ちを拭いされないのがつらくて。
でもどうしても、自分の口から、彼らに「ありがとう」を伝えたくなってしまったのです。なので今回のツアーで、初めて撮影会に参加しようと決意しました。いくつもいくつも、彼らがいたから和らいだ痛みがあって、彼らがいた表現できた感情があって、彼らがいたから出会えた人たちがあって、彼らがいたから見られた景色があったから。
 
結果として、目の前に立ったところでそれが本当に伝わったかどうかはわかりません。
 
けれど、ともかくその5文字が言えて、笑えて、笑顔が見られて。
心のどこかに蔓延っていた怯えはまったくの杞憂に終わりましたし、2部制のライブをこなした後でどう考えても疲れていないわけないのに、彼らはあたたかく、やさしかった。病的に接触が怖かった私が「酔い」は「酔い」でも「ほろ酔い」のまま過ごせていることが、本当にしあわせです。
 
 
本当に、とても。
 
 
こうして、彼らを推すにあたって私の中の色々なことが変わったと感じる1年でしたが、ふと「変わらないこと」を思うことがあります。
 
それは彼らのデビューシングルを購入したときの気持ちです。
 
初めてアイドル”気取り”でCDを出した彼らは、どこか気恥ずかしそうで、でもとても無邪気にはしゃいでいるように見えました。私はその時彼らの笑顔を見て「この人たちが一緒にいる時間が、できるだけ長い間続くといいな」と思いました。そして微々たる力だったとしてもこのCDの売り上げが何らかの形で、彼らの関係を1秒でも長く繋ぎ止める一因となってくれたら。なんて。おこがましくもそう願いました。
当時はそれぞれ学生だったり社会人だったりの兼業でしたし、生活しているところもバラバラで。いつまでも皆が揃って「アイドル気取り」が続くわけがないと感じていた私は、そんな風に思っていました。
 
とみたんが加入したのは密かに願っていたことでもありとても嬉しかったです。でもまさかそこからにーちゃんが離れたと思いきや再び帰ってきて、皆が”気取り”ではなく「職業としてのアイドル」を選び、ぜっちゃんが卒業したと思ったら自分たちの会社を立ち上げて、*ChocoLate Bomb!!やfixsodiaと肩を組み、さらにオーディションをして後輩グループ「パンダドラゴン」ができたり、*Choco baby!!や研修生を抱えるようになるなんて全っっっ然思いもよりませんでしたね…。
 
今となって言えるのは、
本当、私がわかってたことなんてちっともなかったな!!!!!!!!!!!!!!
オールイン全額没収!!!!!!!!!!スカンピンで身包みはがされても文句は言えない!!!!!!!!!正直すみませんでした!!!!!!!!!!!!!!!土下座!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ってことですね…。
 
 
 
だから、もうあれこれわからない未来を天秤にかけるのはやめにしようと思います。
 
『諦めることだらけの日々が大人じゃない』
 
Shine on youで彼が歌う歌詞は、まさに今の私にぴったりと沿うようで。
諦めずに自分の「好き」と向き合って生きていきたい。という望みを握りしめる勇気になりました。
もちろん、先のことはわからないし、また私の周りの景色も変わるかもしれませんが、大事なのは「今」を連ねることだから。
 
彼らの状況もどんどん変化して、目標もどんどん大きくなっていて。
ただ「無邪気に」とはいかなくなった彼らにかかるプレッシャーや日々抱える負担はその重さや種類や数が刻刻と変わっているのだと思います。
 
でも彼らは今も笑顔で、手を取り合ってステージに立ち続けてくれている。
 
「今」彼らがそこにいることがとんでもなくありがたいことだと感じます。それを一生懸命大事にしたいというのがすべてです。
当たり前のことなんてきっと何一つなくて。下手に触れたら壊れてしまうかもしれなかった奇跡の積み重ねで絆が編まれていって。今までもそうやって夢を手にしてきた彼らは、これからもきっと思いつく限りの全てを注いで、武道館へ行くのです。
 
私が彼らにできることが果たして本当にあるのかどうかだってわからないんですけど。
ままならぬ日々の葛藤は尽きません。もっともっと彼らの「生きてる」姿を自分の目で見たいし、もっともっと空間を共有して直接的に応援したいと地団駄を踏むことが少なからずある毎日です。あれもこれも次々と欲しがったって、叶わぬことが多すぎるけれど、何を並べ立てたって結局言い訳にしかならないのもわかっています。 
でも今は、そんな理由で逃げるよりも、今を自分なりに楽しみながら大切にコマ送りで見守りたい。
 
彼らが離れ離れになってしまう日が、いつかくるのかもしれないとわかっていても。
 
私は相も変わらず、
 
 
 
「一秒でも長く続きますように」
 
 
 
 
と願いながら、来年の彼らの笑顔を思い描いてしまうのだから。
 
 
 

たまねぎ。

 

ブログアドベントカレンダー企画

 

『ヲタのしみクリスマス2018』( https://adventar.org/calendars/3354 )

 

参加させていただいております。17日目担当の、はちまんとです。

 

テーマは

【2018年の推し、2018年のわたし】

 

はじめに

この企画を立ち上げて開催してくださったなつみさんに改めてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 


今年、というと少しずれてしまうのですが。

ある時からしばらくTwitterのヘッダーにたまねぎの絵を使っています。


今度ようやく映像化されることになったそのコンサートは、そのグループにとってメモリアル的なものでした。

グループの歴史をおとぎ話風にたどるようなアニメの中で、

大きなたまねぎが出てきて。

 

その日がグループの大きな区切りだったし
ずっとヘッダーに迷っていたので、ちょうどいいと思って検索して出てきた絵画の画像を使いました。

 

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ルノワールの「玉ねぎ」

 

 

専門的なことはあまり分からないのですが、絵は好きです。

ルノワールは、日本でもとても人気の画家。

特に女性に人気の作家で、それは作品を見たら、なんとなく分かる気がします。 

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舟遊びをする人々の昼食 - Wikipedia


 絵の中の人たちは、みんな優しそうで、あたたかそうで、楽しそう。

モデルは友人や恋人や、家族だったり本人の身近な人が多い。

 (この絵も壁紙に使っています)

 

ルノワールは「幸福の画家」と呼ばれています。

実際ルノワール本人も家族に恵まれ、友人に囲まれ大変幸せな人生を過ごしたらしいです。

 

他の絵も「友達と一緒で楽しいなぁ」「妻がかわいいなぁ」「子供かわいいなぁ」

という感じがして。

 

きっと、ニコニコしながら描いてたんじゃないかと思うような。

 

本当はもっと難しい事をやってるに違いなくたくさんの技や発明がある上での名画らしい、けれど、ルノワールなら「それでいいよ」って言ってくれそうな気がします。

 

このヘッダーにしてずいぶん経ってから、

グループのリーダーの方が

「武道館に行くことを目標にします!」ってはっきり明言されました。

それまでは「いつか」とか「個人的な意見としては・・」なんて前置きがあったり

したんですけれど。所属する会社ができて、目指せる環境が整ったのかもしれません。

 

私がこの、たまねぎの絵をとても気に入ったのは、

例えば、この絵をネットで検索した時に見かけた、この絵の話をしている人たちの感想。

 

ある絵画通の人のブログでは

構図とか時代背景とか、だれの影響とか、試みが成功してるかしてないかとか、これは晩年の作だから精彩に欠けるとか。

色々な絵を批評してる記事の最後に、おまけみたいに、このたまねぎのこの絵については

「なんか好き」

の一言で終わってたり。

 

ある女性のブログで、旅行先で初めてこの絵を見たといって

「うちの家族の中でダントツの人気」って

て言ってたり

 

「この絵の前で、なんとなく足が止まった」とか

「野菜なんだけど、なんだか花みたい。かわいい」とか

「絵とかよく分からないけど、なんか良いと思った」

とか

 

いろんな言葉より先に、なんだか気持ちが、ふっとわいてきたような。

 

いろんな物を好きになったときに、好きならば、ちゃんと知らなきゃ、って思って

知識とかにこだわってるうちに、何が好きだったのか分からなくなることもあったけど、この絵を見て、この絵を見た人たちの感想を見て、あ、こういう風に、

"なんか、いい"って、言えるのって、いいなって思いました。

 

私もこの絵を見て「あ、なんかいいな」って理屈より先に、気に入ったんです。

 

夢を追いかける代償に、

画家でなくても、叶える代償に、成功や名声と引き換えに、

不幸になってしまう例はたくさんあって、そういう例はちょっと思い起こせば、

たくさん浮かんでくると思うんですけど

その人本人にしか、幸も不幸も分からないけれど、

本当に、その代償は、避けられないものなのか。それは繰り返し、彼らのことに限らず、自分の中で色々な場面で浮かんでくるテーマでした。

 

(二年後の追記)

全部は選べないかもしれないし、そうして選択したから進める道もある、あった、そうして進んできた。そして後悔はしてない。

そう曇りなく言い、胸を張っている姿は、掛け値なしに、かっこいいです。

 

私が好きなこのグループの、この人たちは、

もともと、知りうる限り、普通の人生を送ってきた人たちで

高校生だった最年少エース以外は、すでにそれぞれ、仕事もしてたし、

夢だった仕事とか、きっと天職と言えるような仕事についていた人もいて。

人として、大人として、しっかりしていて、

この道ではなくても、きっと幸せな人生を送る力のある人たちだったでしょう。

 

現実のルノワール本人の幸せは本人にしか分からないし、実際、順風満帆なだけでなく、戦争や死別や、体の不自由などたくさんの苦労があったらしいです。

絵は好ましく、楽しく美しいものでなければならない、現実は不愉快な事が多いからこれ以上そんなものを増やす必要はない、という信念があったそうで、なんだかアイドルの言葉みたいに感じます。

幼い頃、聖歌隊にいて画家か歌をやるか迷ったとも聞きました。誰かの部屋に自分の絵が飾られることをとても意識して描いてたらしいです。

私は絵は好きで描くけど歌は下手で、歌える人はうらやましいと感じます。

絵も少しはそういう要素はありますが、歌は、きっと体温をそのままに、誰かに届くものです。誰かのために歌うとか、誰かの心に届いてると目の前で実感できる、そういう幼少期からの経験がルノワールの中にあって、心地よいものを分けてあげたいという気持ちが自然に出てくるのではないか、仲間の輪の中で歌を歌うように、絵を描いていたのではないか、と思っています。

だとしたら、やはり彼はとても幸せな人です。ちゃんと、自分で、迷わずに幸せになれた人です。

 

心地よいものを分けてあげたい、というのは、なんだか彼らに似ています。

彼らは、見てると思うのは、きっとすごく、人が好きです。

 

何か、ひとつ「大事なものはこれ」ということを見失わなければ

私が絵の中に感じたルノワールのように、

本人たちも、見る私たちも、楽しいなあ、幸せだなあって思えるもの中に、

この人たちの幸せもあるんじゃないかと思えます。

 

それは、自分と同じように「何者でもなく、どこかで同じように日常を送る誰か」だった時から、グラデーションで今の姿になっていった彼らの、もしかしたら私たちのために、一歩踏み出して、このルートを選んでくれた彼らへの、祈りであり、切なる願いであり。

 

どんなに大きな壁があろうと、どんなに大きくなろうと、

彼らがいつものように、やかましくなるくらい笑って走っていってくれるなら

いいぞいいぞーって見守っていける気がしました。

 

私が見れた短い期間の中で、彼らは何度も壁に当たっていましたが

そういう時こそ、もしかしたら本人たちより落ち込んでしまう私たちの目の前に

彼らはびっくりするくらい全力で、弾けるように飛び出してきました。

そして私たちを巻き込んで、お祭りにしてしまって、ワーワーキャーキャー言いながら

押すでもなく、引くでもなく、みんなで、よっしゃいくぞーーって爆走したら

止まれなくなって雪崩れ込んだら、壁が壊れちゃった!!これ大丈夫かな・・・?

みたいな。(私に限って言えば、たまに暴走しすぎかも。すみません)

 

 みなそれぞれ方向性の違う聡明さを持っていて、けれどみんなどこか不器用で、

その上で、全員揃うと信じられないくらいのパワーが生まれ

壊れた壁を前にして、みんなでびっくりしながら笑いあうみたいな、

 

そんなことが、きっと何度もありました。

そういうところに、何度も救われました。

そんな姿を思い出すと、自分の中に、小さな火種を、勇気をもらえます。

 

個人だと「僕なんて」なんてネガティブなことをみんな言いがちなのに

みんなで、となると、めせもあ。!!やります!!!と強気になるところにも。

ABCしか選択肢がない中で、当然のように自分たちの名前がそこになくても

ABC以外はダメって書いてないから、もしかしたらいけるんじゃないか?」

って閃いてしまうような圧倒的なポジティブさにも。

 

やっぱり盛大に転んだみたいなこともあったかもしれないけど、後からその結果を見てみると、存在しなかったはずの選択肢だったのに、これしか答えがなかったと思うくらいに、用意されたフレームごと変えてしまうくらいの、彼らの形に合わせて、大きな何かが変わっていくのが視界に入りきらないくらいの規模で、変わっていくのが見えてきてる気がする、くらいインパクトのある結果を出してしまうことも、この人たちはやってきてるんじゃないかと思います。

 

ただ見てただけなのに、本当に偉そうで誰なんだお前はって感じですけど。

 

このグループを知った当時からずーっと言ってる、説明のしにくさ。自分の中でさえままならない言語化

 

けど、ひとつ分かるのは、

彼らがいると嬉しいんです。

もちろん、かっこいい、かわいい、素晴らしい、すごい人達です。

それでいて、すぐ隣りにいるような、暖かさを感じます。

その事で、私は毎日楽しいので、

ああ、私達だけじゃなく、

みんなもっと彼らの一挙手一投足で

みんな微笑んでくれたらいいのに。と思います。

そして、たぶんそれは叶うんです。

きっと、それぞれのタイミングで

「なんか、いいかも」て彼らの前で

立ち止まって、その人達は、その人達らしく

彼らを好きになって、そして、同じタイミングで、笑ってくれるはず。

いつの間にか、私達の周りには、同じタイミングで笑ってくれる人が、たくさんあふれているはず。

 

私がごく自然に必要としたように。

きっとそうなると思います。

「絵は見るものじゃない、一緒に生きるものだ」とルノワールは言ってたそうです。

ごく自然に、この時代に生きる人達と一緒に生きていく、彼らは自然にそうなる。

そんな気がするんです。

 

なんだか予言めいてしまったけど、

また、誰かの人生に寄り添っている彼らの存在を知るたびに、きっと彼らは彼らのまんまで、必要とされていくだろうと思うのです。

 

私が願いを込めたのは

 

これからどんどん大きくなる、きっと大きくなっていってくれるこの人たちが

このたまねぎの絵のように、その人それぞれの、その人だけの彼らとなって

誰かを、そっと嬉しくさせて、愛されますように。

そして、ルノワールの絵のように、世界中に愛されますように。

 

「君は自分の楽しみのために絵を描いているようだね」 と自分の師匠に言われて

「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ」

て返したルノワールのように。

好き、楽しい、から始めたアイドルである彼らが、彼ら自身もこれからも幸せにしますように。

 

 武道館、行ってね!だけでなく。

 そんな願いも込めて、ずっとこのたまねぎの絵を飾っています。

 これもなんだかもうすぐ叶うんじゃないかと予感がするので

 2年前に書いてた下書きを今年おろしてみました。

 

まだ出会ってる途中

※ド頭から気持ち悪い自分語りが始まっているので苦手な人はブラウザバック!

※このあとの空白には反転させても何もありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから何もないって言ったじゃん!

 

 

 

 2018年7月20日のこと。大学2年生の夏休み、それは人生の夏休みと呼ばれる大学生生活の中でも最も”夏休み”たる時でしょうか。その初日、成人したばかり、髪を染めたばかりの女の子は東京テレポート駅にいました。なぜか?好きな人と遊びに行くから!やべぇ!ところがまぁ色々あって結果的には失恋。そんな感じで突入した大学2年生の夏休み。

 二度と立つまいと思っていた東京テレポート駅に、まさか一か月後に再び立ってるなんてこの時は想像もしてなかった。バイトも入れてなかった翌日の土曜日、布団の中で延々と流していた「ダーリン」もう何回見たか?って時にふいに目が留まったのが1:09で愉悦の笑みを浮かべていた金髪のあの人。

 この金髪のひと、緊張感ある曲調と振付のなかでひとり笑みを湛えて歌っている姿にひどく惹かれた。みんな凄かったけれど、私の目にはひとりだけ違う世界に立ってるように見えた。音に動かされてるんじゃない、音を支配していた。踊りだけじゃない、彼が歌う旋律や歌詞は音楽の手を離れて、彼のものとなって届くのだ。半年経った今でもずっと、そう思う。

 

それが、あの時わたしが開けたドア。わたしの夏休みの本当のはじまり。

とでも思ってなきゃやってらんねー!

 

 

 

 そして五カ月が経ちましておはこんばんにちは!

 はじめましての方ははじめまして。なついと申します。

 素敵な企画も折り返して16日目、ファイナルまで約1週間となって参りました。わたしはクリスマスが大好きなのですが、クリスマス当日よりもクリスマスを心待ちにする日々が好きです。今年のクリスマスにはツアーファイナルがあって、したがってそれを楽しみに過ごす幸せも2倍ということで毎日楽しく、多少つらいことが合っても「まぁいっか!ファイナルあるし!」というわけわからん力技で解決しています。あとは…ツアーのラストに誰も卒業しないのって純度100%楽しみにできるからいい…

 

 本当は、この企画の担当日が発表されたとき、「あ、絶対にハロプロの話込みで書こう!」って思ってました。それは私がモーニング娘。のオタクであることをイルミィのアイデンティティにしているってこともありますが、何より12月16日はモーニング娘。’18の秋ツアーラスト武道館にして飯窪春菜さん卒業コンサートの日だったので。

 でも、いざ企画が始まって皆さんの言葉に触れていくと、思った以上に今わたしが抱えているものを掘り起こされて、突き付けられて、時には救われもして、2018年のわたしを振り返るならそれを無視することはできないなと思ったゆえに今回はハロプロ芸人は出てきません。楽しみにしていてくださった方がいましたらごめんなさい…!

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ、出会ってる途中

 

 

 

 

 2018年の推し、2018年のわたし。振り返ろうにもなにせ出会ったのは冒頭参照夏真っ盛りなので約半年間の話です。好きになった経緯諸々は過去のブログで書き切ってしまっているので、申し訳ないのですが少しだけ自分の話をさせてください冒頭からしている

 

 この半年間を振り返っても、正直こんなに真剣に「アイドル」について考えたり、悩んだりすることになろうとは想像もしていませんでした。アイドルとは結局のところビジネスの一環で、エンタメの一種であるはずなのに、何をこんなに馬鹿正直に悩んでいるんだ?と自問自答する日々。素敵な彼らと出会って、素敵な音楽と出会えて、たくさんの幸せをもらって、あのときあのドアを見つけて開けたことが本当に奇跡だったなと思う一方で、実は自分は招かれざる客なんじゃないだろうか…?と思うことが時々、ありました。

 

 最初にそれを感じたのは9月、詳しくは言及しませんが撮影会に関するあれこれがあった時、あの時のメンバーの発言がわたしにとっては違和感だったのですが、当時のTLはいわば「犯人」を責めメンバーを擁護する意見で溢れていたし、私も自分が何に違和感を持っているのかよくわからなかったので何も言えませんでした。

 

 あとでわかったその違和感の正体を当たり障りなく言うなら、「そんなことに構っていたら、ファンは増えないんじゃないのか…?」っていう。当時のわたしは自分の拘りのようなものでアイドルとの接触イベントに参加したことは無かったのですが、アイドルはファンを選べないのが常識であり、誰でも好きになれることが逆にアイドルをアイドルたらしめているような気がしていたので、この先もそういう、アイドル本人の口から誰かを排斥してしまう発言をしていくなら、取り込めるファンも取り込めなくなってしまうような気が漠然としていて、とにかく「武道館に行ってほしい、行けなかったらどうしよう」という気持ちばかり強かったこともあってもやっとした気持ちをごまかせずにいたのが正直なところです。っていう話をすると反感を持たざるを得ないフォロワーさんがたくさんいると思うんですけどまぁもうちょっと聴いていってほしい。

 

 

 それからまた月日が経つと共に、目まぐるしく色んな彼らの側面を知っていく中で、ひとつわかったことは、彼らはただ消費されるだけのコンテンツでいようとしていないんだなってことでした。

 わたしはハロプロをはじめとするアイドルが好きな人間ですが、アイドルはやっぱりビジネスだと思っていて、アイドルとファンがお互いを搾取し合う構造はどうしようもないものだと考えていました。お金がないとアイドルはステージには立てないし。今思うとわたしがアイドルの接触イベントに参加してこなかった理由の一つには、「売り物の笑顔や会話なんてもらってもしょうがない」っていう深層意識があったのかもしれないです。

 

 でも、ライブに参加したり、ブログを読んだり、色々なエピソードを知っていくとなんとなくわかってくることがあって。うまく言葉にできないけど、百パーセント感覚で言うなら、彼らはずっと、「僕たちがいるよ!」「アイドルじゃない、それ以前の“僕たち”がいるよ!」って叫んでるようなイメージ。アイドルも人なんだよ!ってことなのかなぁ。それって、多分長く追ってる方々からしたら当然のことなんだと思いますが、私には新鮮でした。いや、アイドルは紛れもなく人間なんだけど、誰からも愛される存在でいるためには誰でも愛さなければいけないところがアイドルという生き物の苦しいところだとずっと思っていて。エンタメとしてのクオリティを上げることと、倫理道徳の秩序を保つことは相反するのだという事実は確かにある。でも、MeseMoa.の魅力的なところって、彼ら自身が誰よりもMeseMoa.を愛していて、守ろうとしている、そんな風に見えるから、彼らのそういうありかたに気付いたとき、もっと好きにならずにいられなかった。

 

 でも、一度そう思ってしまうと、自分のオタクとしてのあり方に随分悩みました。何に対しても懐疑的になってしまいがちな姿勢とか、“こうしたらもっと良くなるんじゃないか”を気軽に考えてしまうところとか。自分ではそれが文句や否定だと捉えてはいなくても、そういうのって受け取り方によってはネガキャンになるのか、無意味なんだから考えてもしょうがないのか、何かあるごとに色んな意見が流れていくTLを眺めては勝手に傷ついたりして本当バカみたいだった。大好きなのに、何故わたしは彼らのことを100%信じることができないのか、自分を責めてもどうしようもなくて。もしかして本当にわたし招かれざる客なんじゃないか、と思っては、そもそもたかが趣味にどうしてこんな真剣に悩んでいるんだ…?と我に返ったり。ファンにできることは好きでいること、でも好きでいる方法には何百通りもあって、私なりの好きでいる方法が誰かのそれを邪魔しているのは嫌だけれど自分で自分との齟齬を抱え込んでいることもできない。わがままなのかもしれませんが、そうしないと私は自分を肯定できない。モーニング娘。‘17『弩級のゴーサイン』の歌詞に「自分らしさつらぬく度に 誰か擦り減る世界」という言葉がありますがまさしくその通りで。好きになって半年の割には、ブログをきっかけに沢山の人と仲良くして頂いていて、すごく幸運だった反面、逆に言えば住み分けに失敗しているのかもしれないと思うこともあったりしました。

 

 

 とか、色々悩んでもがき続けながら、めせらいで興奮したりライブで背伸びしたりする5カ月間だったわけですね。濃かった。

 

 12月に入って、この企画が始まって、今までの15名の方々の心のうちを覗かせて頂いて、結果的にすごく救われました。推しの卒業だったり、後輩オーディションだったり、(胸板も智哉も親族も女の子も)私の知り得ない色々な出来事を乗り越えて15人15色の今がある。わたしはまだ、出会っている途中なんだと思えました。今は100%彼らを信じることができていないかもしれない、そこは誤魔化すことが出来ないけど、着いていく決心はとみたけさんに会いに行くと決めた時にしたから、あとはもう、大丈夫だと信じられるその日が来ることを待っていようと思う。わたしのオタク人生はまだ始まったばかりだから。まだしらない彼らに、これからたくさん会いに行こう。そう前向きにさせてくれたブログ企画と執筆者のみなさんには本当に感謝しかないです。

 せっかく「ヲタのしみ企画」なのにあんまり楽しめない内容にしてしまってほんとうにすみません!!でも、圧倒的に出会って日が浅いわたしに書けることはこれしかなくて、あとはわたしのように彼らを知ったばかりのひとに届いたらいいな、わたしがみなさまのブログを読んだときのように救われてくれたらいいな!というエゴ、そして自分の煩悩を埋葬するためにかきました。壮大な言い訳の物語もこれで終わりです。

 

 やっぱり、幸せになりたい、幸せだ!と叫んでいたい、幸せをくれてありがとう!アイドルで居てくれてありがとう!と推しに言い続けたい。幸せになることを選択できるのはわたしだけだというのが私の認識なので、こんなわたしで申し訳ないけれど、しばらくは綺麗なオーロラがかがやく世界の片隅にお邪魔していようと思います。

 

 さいごに謝辞を!

 いつもくだらないツイートに付き合って一緒に楽しんでくださるイルミィさん、困っているときに色々教えてくださったりチケットを譲ってくださるイルミィさん、いつもありがとうございます。素敵企画を運営してくださってるなつみさんには頭が上がらないです。執筆者のみなさまには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。おつかれさまでした&がんばってくださいませ…!

 そして推し。「ダーリンで好きになりました!」と言ったら「あなた変なひとだねぇ~!!!」とおっしゃいましたが今見ても本当に光ってて目が離せなくて、あの動画がなかったらわたしは今これを書いていない。とみたけさんのおかげで、たくさんの素敵な出会いがあって、感謝してもしつくせないです。セミファイナル後のブログで、アイドルでいる自分を肯定して幸せでいることを語ってくれたことが、どれだけたくさんのひとを救ったか、きっと知らないと思うけれど、とみたけさんに届いたであろうたくさんの「アイドルで居てくれてありがとう!」のうちのひとつを高崎で届けさせてくれたことが本当に幸せです。お互いを幸せにすることで支え合っていくアイドルとファンの世界に連れて来てくれたこと、MeseMoa.のいる世界で、これからの人生を歩んでいけること、数えたらきりがないですが本当にありがとう。

 まだ知らない彼らとたくさん出会える2019年になりますように!

 

2018.12.24   なつい

 

 

 

 

 

 

 

 

世界には愛しかない話。

こんばんは。15日担当kyoraです。

北海道組を推しています。

この度はこのようなすてきな企画にお声かけいただいて、とても光栄に思っています。

『ヲタのしみクリスマス2018』( https://adventar.org/calendars/3354 )

普段は思いが重い系ブロガーなんですが、

できるだけポップに書きたいと思って書き出しています。(フラグ)

本日はこのページにお付き合いのほど、よろしくお願い致します。

 

さて。2018年ですよ。

兎に角、2018年は野崎元年でした!

 

野崎弁当プロデュース&センター曲『New Sunshine』を皮きりに、

舞台『アンフェアな月』への出演、ソロ写真集の発売、

事務所のカウントダウンコンサート歌唱部への抜擢 など。

 

曲中の歌割が増えたり、MVの抜かれるショットが増えたりしたし。

『Maze』のファルセットなどで見られる歌唱力自体の向上だったり、

立ち位置の関係とはいえ、

あの気まぐれプリンスさんの代役を務めて踊ることがあるなど、

驚かされることもたくさんありました。

 

今ツアーのソロでは、「野崎弁当にしかできないことを」ということで、

アトラクションのようなソロ演目の数々は本当にお見事でした。

やっぱり彼の真ん中に通っているのは、

エンターテイメントとしての踊ってみた だと思います。

 

OAD、私の1番観たかったものは叶いませんでしたが、

とてもとてもとても楽しい1日でした。

やっと憧れのディファに行けました。立ってほしかった舞台に立った人もいました。

踊ってみたが好きです。きっとこれは変わらないと思います。

 

あと個人的に顔の怪我はマジでびびったので、

場外でやんちゃするのはほどほどにして2018。

わりと自分の顔に自信がある人だと思っているので、

気にして前髪で隠そうとしてくれていたのがかなり気がかりでした。

でも『Flower Wind』のMVの髪形大好きなので、

あれはあれでまたやってください(とても強い要望)。

まだちょっと時間かかりそうですが、綺麗になるといいね。

私は本人がいいなら、あの二重幅を整形で綺麗に直すのも全然アリ派です。

 

そして。

めでたいね写真集オリコンウィークリー第3位!

やったーーー!!!!

白服さんと2位、3位で上位に入ったのは本当にすごいと思っています。

合わせ技一本!

1位は欅坂さんなのもご縁かな。

 

正直、他社の通販ランキングには『しろろ』しか載ってないことが多くて、

これは1人が入って1人が入れない辛いアレではと心臓バクバクものだったのですが、

ほんとーーーーーーーーーーーによかったです。

 

トラライ。のときも思ってたんですけど、対外的な賞レースとか、評価とか、ランキングとか、大事だなって思っていて。○位でした!とか、やっぱり話し早いですよね。

プロフィール欄に、そういうの欲しい。

わかりやすい実績って、興味の一端になると思うんです。それがファンなのか、お仕事の方なのかわからないですけど、アプローチできる点が増える。

 

でね。

出来がすごく良いから。今からでも買っていただきたい。

もしくはねだったら誰かくれる(多分)。

めちゃ綺麗だし、ちゃんと1冊の中に流れがあって。

いろんな面が見れて、表現の幅もある。

ちなみに私は、見開きになっている

お花と一緒に寝そべり弁当(ちょっととぼけ顔)が一番好きです。

あと表紙の衣装の喉元が好きです。(限定的)

 

自信を持って見せたい!

延長コードどうやって説明しようね・・・・・・・・

 

リリースイベントがあって・・・・・・!

小道具がね、初登場でね・・・・・・・!

マックと猫のぬいぐるみと 

延長コードとティッシュとパンツ(使用済洗濯済)だけど・・・

(後半になるにつれセクハラ容疑)



でも。でも。

茶推し敢えて言おうと思います。

 

しろろにも勝てる日はもう遠くないぞ、と。

 

2位は白服さんの『しろろ』 3711部

野崎さんの『野崎さん』は 3616部

 

結果論だということを前提として言ってます。わかってます。

 

あと100人。

あと100人が1冊買ったら、白服さんの『しろろ』も捉えてた。

もうちょっとだった。

 

1人が100冊でもいいのかもしれないけど。

2人が50冊でもいいのかもしれないけど。

10人で10冊ならいけたかもね。

25人で4冊買い増ししてたら・・・?予約していたら・・・?

たらればたられば。レバニラうめえ。



本当の本当は買ってない人が100人が1冊が理想ですよね。

 

通販でも代行でも布教でもよくて、お手元に1冊。

 

それは根本的な話になると『野崎さん』でも『しろろ』でも

『のっくん』でも『ノックン』でも

『とみたん』でも『二番煎じ』でも『あおい』でも『今川碧海』でもいいんだけど。

 

・・・・・『ZEARARU. FROM MUSUMEN』って一般流通してましたっけ?

そういえばソロ写真集一番乗りで肌見せも最初は社長ですね。



話を戻しまして。

いや自分も1冊で終わったかって言われたらそうじゃないんだけど、

多くの人に手に取ってもらったほうがいいに決まってるぞと。



今回私の言う、取り込めたら嬉しい100人が

もしライブが観たいって思ってチケットを買ってくれるなら。

 

100席を埋められる。

それがどこか地方のホールかもしれないし、ZEPPかもしれないし、武道館かもしれない。

 

どれだけ買えても、1人は1席しか埋められない。

もちろん布教されて来てくださる方はめちゃめちゃ大事。

観たいと思った人がその席に座って、笑顔になって帰路についてくれたら。

そして、『MeseMoa.』楽しかったよって、周りの人に言ってくれたら。

嬉しいなあ。

理想ばっか書いてる私ですが、理想ばっか書いてたいんです。

 

本当は、とか、裏では、なんて言うナンセンスは切り捨てちゃって、

見えるものを信じてたら、元気になれるでしょ。

うわべのおいしいとこだけ掬って、ハッピーになるのがドルオタだと思ってるんですね。だって趣味だから。軽やかに行こう軽やかに。

自分がハッピーになるためにイルミィしてるの私。

 

推しの笑顔見たら、ぱーって嬉しくなる。

みんなそうでしょ。

じゃあこれまでの人も、これからの人も、みんなハッピーがいい、と思うんですよ。

 

でね。

私含め、いろんな方が、自分の都合で来れなかったり、来なくなったり、あるけど、

ぱったり来なくなったように見えて、2年後ふと見に来てたりするもんです。

そういう人が成立するには、続いていてくれないといけないわけで。

 

現状維持は衰退と同じって誰かが言ってた気もする。

たとえばいま、ママになった子が、5年後なら託児スペースができちゃったりしてさ。

ライブに来れるかも。

10歳だった子は、パパママと一緒にホール見に来てくれるかも。

 

続いていくって、すごいことだと思います。

 

願わくばそこに、まだいたいなあ、と思いながら、

野崎二年とメンヘラシンガーの躍進への期待を

両腕いっぱいに迎えにいきたい年の瀬でございました。

 

 

とみたんについては、

個人ブログ「イルミィはたまねぎの夢を見るか?」でまた後日書くと思います。

ファイナルを見てからのほうが、彼に関してはいい気がして。

『オーロラ曲技団』の主役は間違いなく彼。

だから、最新盤をひっさげたツアーの完結を観てから、

感想と2018年のまとめをしたいと思っています。

 

 

あ、私のことですか。

そうですね。

そう!きいてください!やっと!

結成時からファンやってるんですけど2018年にしてやっと!

とみたけ推しのLINEグルにいるんです!!!!!!!!!!!

いや笑ってもいいよ。

でも薄桃推しで話してると楽しいって言ってるの見て泣いたのは本当の話。

 

あと、茶推しさんたちはいつだって優しい。

おかしいこと言ってたら、それはちょっと違うんじゃない?って諭してくれたり、

変わらず仲良くしてくれたり。

 

仲良しの子は本当にいつもありがとう。

新しくお付き合いしてくださる方もありがとう。

そしてこの出会いやお付き合いは、MeseMoa.がなかったらなかったですね。

 

 

 

 

そんなこんなで、あと10日。

みなさんこの先もこの企画を、

そして年末のイルミィライフをお楽しみいただけたらと思います。

 

それでは。

秋の夜長ならぬ師走の寸暇にわざわざ読んでくれる優しい貴方に幸多からんことを。

 

 

 

ところで。

2017~2018の疑問なんですけど。

めちゃめちゃ嬉しかったのはもちろんそうなんですけど。

 

 

なんでうちの推しのセンターだけこんなにハードル高かったん?????




可愛いは世界を救う

 2万払って法被を買っても推しのチェキ会はない。
 

ブログアドベントカレンダー企画「ヲタのしみクリスマス2018」をお読みいただいている皆様はじめまして、もしくはいつもお世話になっております。14日目担当きみちゃと申します。


1行目のアレでお察しですが、推し卒業後もなんやかんやMeseMoa.さん沼でちゃぷちゃぷしてるいわゆるぜ。推し、橙の民でございます。

特技はタレ目のふっくらオレンジうさぎをはじめとするあのこたちの妄想とボロ泣き、好物はにぜあ。
思い出しモグモグでいつまでも味がするタイプ、わりとコスパが良いオタクです。

二つ返事で参加者リストにぶちこんで頂いたものの、カレンダーに並んだアイコンはお見かけしたことがある方ばかり。
目頭が熱くなる日があるかと思えば大笑いする日もあり、推してるひと目線ならそんな風に見えるのかとワクワクしたり、はたまた推している人のみぞ知る一面を覗き見て、目から鱗やら汗やらな日も。

なつみ(@gyutan_umaiyo)さん、素敵な企画をありがとうございます。
毎日飾りつけが増えていくのが可愛らしい、アドベントカレンダー企画ページはこちら。
素敵なおブログに出会えます。

ヲタのしみクリスマス2018 Advent Calendar 2018 - Adventar
https://adventar.org/calendars/3354


あの、アレです、私のはおぜんざいについてくる塩昆布くらいに思っていただければありがたいです。




さて、頂いたブログテーマは
【2018年の推し、2018年のわたし】


何を書こうか考えました。

考えて考えて考えて、ようやく一本の線になった気がしたその時、頭の隅っこからひょっこり現れたらるぴょんがふわふわのオレンジ色の毛糸をこれ見よがしにかき集めて丸め始めるわけです。
今やっと一本になったのに!!

あわてて絡まった部分をほどこうとすると、今度はあっちゅーとふぉげみだいるが赤色と緑色の毛糸玉を両腕いっぱいに抱えながらやってきます。
前が見えなくなるくらいたくさん抱えて…。なのにそんなにぎゅーってしてたら、気をつけ…あーーーっ言わんこっちゃない!!

勢いよく飛んでいった緑色の毛糸玉はぽんきちくんの後ろ頭にクリティカルヒット
ぽんきちくん、黄色の毛糸玉を床でダムダムするのはやめな…、怖いから…。

ふと大人しくしてる組を見やると、とみたんがるーはせっせと手を動かしている様子。
淡いピンク色の毛糸で編んでるのはうさぎの編みぐるみ…?意外と器用やねぇ。

その隣でとみたんがるーの針さばきを見ているいんぱくそさんの手にも紫のふわっふわの毛糸。
上品なお色味とこの艶…、察したわ…、それめっちゃ高級なやつでしょ。1玉で1チェキ券分くらいのやつでしょ。

と、右側に重みを感じたと思ったら服を引っ張っていたのはこんたちゃん。
なになに、糸の結びかた?毛糸は結んだらほどけにくくなっちゃうけどどうして結びたいn………

にゃんとす、毛糸でご主人の真似をするのはダメよ、ましてやこんたちゃんに縛らせようなんて…。
体に巻いた茶色の毛糸ははずそうね。

………こんなにとっちらかってるなかで本気であやとり勝負してるせんじらふとブラザーってなんなの………えっ、この毛糸、翡翠と牡丹色の繋ぎ目がない…さては縒ったわね……玄人かよ……


はい、通常営業です。


とまぁ常日頃から脳内でわちゃわちゃして癒してくれるあにまるずちゃん(勝手にそう呼んでるんですけど正式名称ありましたっけ)ですが、本物(?)を見たことあるのは中野の卒業公演の一度きりです。情報がないのを良いことにやりたい放題妄想してますが、12/24、とうとう推しの卒業公演DVDが発売されます。緊張で吐きそう。見なきゃ死ぬけど見ても死ぬ。でもぜっちゃんのアイドルっぷりははいぱー可愛いから全員見て!!!!!!

(あにまるずちゃん、キャラ違ったらごめん)



本題に戻りましょう。


2018年の推しの表舞台での活動は、さっと思い付く限りでこんな感じでした。


1月
2月ベイビーズオーディション
3月四谷会談
4月OAD、OADAP、ぱらごん御披露目、超会議
5月DDチャンネルLIVE、裏会議
6月お食事会
7月聖誕祭
8月みすもあ対バン、DDDP
9月CFTMイベント、ニバンクーン聖誕祭
10月
11月超パ、じゅのん審査員
12月りり誕、DDP


多いな!?!?


四谷怪談なんてね、出演者の所属事務所の社長がアフタートークにだけ出てくるってね、ほんとどんな立ち位置だよ(めちゃくちゃおもしろかった)(なだぎ武さんにでれでれのしゃっちょ可愛かった)

この他にも定期的にDDチャンネル(しゃっちょによるDDメンバーお料理番組)放送があり、毎週金曜日24時からはお雑談RADIO Returns!でばちくそ可愛い「あらためましてこんばんは」と「ばいばーーーーい」が聴けるんですよ、えっ、恵まれ過ぎててこわい。


雑に述べると、めちゃくちゃ頑張ってるんだな~と感じた1年でした。

MeseMoa.ちゃんたちのような大型ツアーこそないものの、そこそこイベントに出演されていたし、楽しそうにはしゃぎ倒す社長(ちっちゃい社長いじりも含む)が可愛い。
突然れっつすたでぃしはじめるおポンコツぜあらる。が可愛い!!!!!

※参照



コンスタントに、且つ無理ない程度に、表舞台でもきゃっきゃしてるのを見られるって最高じゃないですか。


そんな未来が来るなんて、
約2年前、ぜっちゃんがアイドルではない世界の扉を開けたあの日には想像していませんでした。


わりと最近のお雑談RADIOで、ぜあらる。さんがこんな風に話されていました。
「卒業したのに(MeseMoa.ちゃんたちと)一緒に表舞台に立つことに抵抗があった。でも、浅井さんにCFTMのオファーをもらって、そこでやっと、僕たちは無理やなと思った」

今さら離れるなんて、無理だと。


浅井さやか先生、この場をお借りして御礼申し上げます。
博士という、あんなに我儘で素直じゃなくてそれでいて傷つきやすくて愛に溢れた人物を配役してくださったこと、あの頑固者の気持ちを動かしてくださったこと、「10人でいてはいけないと思うこと」を諦めさせてくださったこと。

どんな言葉をもっても言い尽くせませんが、
本当に、本当にありがとうございました。



ちょっと真面目っぽくなっちゃったので軌道修正しますね(?)


彼の今の本業は、言わば裏方です。
特にOADでは、イベントのあらゆる部分において、長い時間と労力をかけて取り組んでいたと風の噂を聞きました。
あっ、はい、主なソースは翡翠色のひょろんとした風です。

3部構成、出演者200人超え、演目は全部異なっていて、その上外周ステージ。
古参新規入り乱れて、その日限りの夢の祭典。
海パンふんどしバナナに大根、あれ、なんのイベントでしたっけ。

とにかくまるっと一日かけて踊ってみたを味わい尽くせた1日でしたが、ぜ。推しの私にとって今でも脳裏に焼き付いて離れないのは、公開リハーサルを取り仕切るぜあらる。さんの姿です。

自分のブログに吐き出しているので多くは語りませんが、彼が「アイドルをやめてでもやりたかったこと」を垣間見ることができた気がしました。
本来なかなか目にすることが出来ない姿を見られたこと、きっと今もそんなお仕事をMeseMoa.、*ChocoLate Bomb!!、Fixsodia、パンダドラゴンの後ろで出来ているんだろうなということ。
夢叶えちゃってるのかなと思うと、つい頬が緩んでしまいました。

ただおかしなことに見ている私の方が緊張してしまい自分の手を強く握りしめすぎた結果、1部が始まる前に両手の握力がお亡くなりになったので、今後はそこだけ気を付けようと思います。
※握力40kgオーバーの女




そんな風にぜあらる。さんの今のお仕事を噛み締めながら、同時に2018年に一番考えてしまったこと。


パラレルワールド、もしかしたらの世界。


MeseMoa.ちゃんが敢行したMaze.No9。
そこで披露されたストーリーは、オタクでいうド直球のしんどい。
中でも、白服さんの『辞めたいと思うようなことがあった?』は胸がチクリどころかバズーカーで正面からぶっ飛ばされてドォォォォォォンみたいな衝撃でした。
必然的に考えてしまいます。


ぜあらる。が、アイドルを辞めたことを忘れてしまった世界に迷いこんだとしたら。



例えば2015年秋の、あのお膝の怪我がなくて、
10人で47都道府県を巡って、
RENBOにも最バケにもThanks!にもソロパートがたくさんあって、
不参加だからってファンダカードが10枚も用意されないとか無くて、
街頭アンケートのオレンジ好き?に\好きー!/って口パクするメンバーを見てニヤニヤして、
メンカラ袴姿は10人並んで某座布団制大喜利のための新衣装で、
らるぴょんのラバストも生産されて、
みんな大好きD衣装(NSでお目見えしたメンカラ超絶アイドル衣装のアレ)のオレンジはフリルがふんだんに使われていて、
ぜっちゃんのしんどいストーリー介護士verも披露されて涙して(その場合地獄←短足←幽霊だって信じてる)、
相変わらず汚い字の一言ネタ落書きチェキを求めて交換ツイート出して、
MissMoa.さんには前科持ちのむちむち系セクシー衣装担当の篠原瑠々がいて、
チェキ会でトンチキなピンショを撮ってにぜあを合成し放題で、
お立ち台の上に立ってるのに隣に並んだ高身長と変わらなくて地団駄踏んでるのを見て笑ってる世界があったとして。

それはそれでちょっと覗いてみたいなと思います。
想像だけですでにうるとら可愛い。

でも、絶対連れ戻します。
DDメンバーがな!!!!!(他人任せ)
連れ戻しに行けるのは一人だけとか知らねぇぞ団体戦だコラァ(?)

いや、アイドルしてるぜっちゃんの天使加減は\おはよー!/で全世界がスッキリ目覚めるくらいなんですけどね!?!?
戻ってきてほしいって心の底から思えるのは、今DDの真ん中にいる黄丹色のちっちゃい花が咲き誇っているのを実感できているからかなと思いました。
守らなきゃいけない大事な子達が増えましたし。
扉の向こう側でだけ叶う夢もあるけれど、2018年の推しを見ていたら、あの日の分岐点は決して間違いなんかじゃないと自信をもって言えます。
まぁ個人の見解だけどな!!!!!!!!!!





私事ながら先日お引っ越しをしまして、片付けている際に最後のチェキ会で読んだお手紙が出てきました。
(手元にあるってことは投函せずに持って帰って来たっぽい)


こうしてお話する時間はこれが最後です。
なので短くまとめるね。
卒業を発表してから特に、ラッキーなことにたくさんお話できる時間がありました。
これから9人はきっと今まで以上にいろんな壁にぶち当たります。しっかり守ってあげてね。大丈夫。10人の未来がとても楽しみです。

でも最後なので、一個だけ。ライブで見つけてくれたり、目があったら頷いてくれるの、すごく安心できたしすごく嬉しかったんよ。それがなくなるのは、本当は結構寂しいです。

何もしてあげられんくせに口うるさい私みたいなのに推されたのがぜっちゃんの運の尽きです。全部全部ぜっちゃんとでした。これからも応援させてね。



最後の最後にお前の運の尽きとか喧嘩売ってるのかな、定価買取で何卒。
随分センチメンタルですが、あの頃の私が最後の1分で伝えたいと思ったのはこれでした。
結局ありがたいことにこれは最後にならず、今も年に数回は「お疲れさま~楽しかった?」って聴ける機会があります。
※篠原瑠々もカウントに含みます。


2018年、ぜ。推しとして振り返ってみると、たぶん今までで一番落ち着いて応援できました。
だってぜあらる。に関する重要なお知らせがない。
笑い事のようで笑い事でもなくて、当時は自分のことのようにしんどかったし、文字を見るたびに心臓がぎゅっと締め付けられるような思いでした。

体調を崩したり怪我をしたり、普通に生きていればあたりまえに起こりうることですが、人前に立つお仕事をしている彼らは、場合によってはそれを公表せざるをえません。
ぜあらる。さんに関してはイベントも単発のものが多いですし、よっぽどのことがない限りはお知らせされることもないでしょう。

大好きな人たちが苦しんでいたら何かしてあげたくなる。それは至極当然の心理です。
でも我々の関係はアイドルとオタク。オタクは何もしてあげられない。これは卑下しているわけではなく、そもそも役割が違うからです。
今はDDメンバーに関するお知らせがある度に思います。「しゃっちょ、頼んだ!!」

オタクができることは、ただただ応援すること。
歓声を上げる、拍手をする、キンブレを灯す、お手紙を書く、マナーやルールを守る、グッズを買う、動画を見る、拡散する、絵を描く、文字を書く、友達に布教する…いろんな方法があります。
病気や怪我を治してあげることは出来ないけれど、オタクにしか出来ないこともあるはずです。

なにぶんアイドルを応援したことがなかったもので普通がどのようなものか存じ上げませんが、アイドルとオタクって不思議な共闘関係なのではないでしょうか。応援は我々に任せろ、そっちは思う存分ステージでキラキラしてくれ、みたいな。
あっ、適当に言ってます。

推しに関してはステージの裏で思う存分キラキラしてほしいし、あの手紙を書いたときと変わらず、それを応援できるオタクで居続けたいなと思います。
これからもどうぞよろしく、ということで、このブログを締めさせていただきます。



『糸を結んだら、結び目にちょっとだけ水をつけんさい。それから強く引っ張ってみ。乾いたらほどけにくくなるけぇ』

編み物を教えてくれたのは、今は亡き祖母です。おばあちゃんの知恵袋的知識なので効果の真偽はわかりませんが。


どうか、涙を流してそれでも強く前を向く彼らの結び目が決してほどけませんように。


今回偶然担当することになった12/14。
せっかくなのでちょうど2年前の今日、めせらい(exむすらぼ)で上がった動画と一緒にお別れしたいと思います。



【耐久11分】ぜあらる。のアイコンがじんわり変わるだけの動画



_人人人人人人人_
> 狂気の沙汰 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄








最後までお読みいただき、誠に有り難う御座いました。
今でもぜあらる。さんを応援させてもらえることに感謝しかありません。
私が言うことでは御座いませんが、どうかこれからも株式会社DDをよろしくお願いいたします。
それでは引き続き本企画をお楽しみくださいませ。

きみちゃ(@McySakura19)

推しと肯定の話

初めまして。

アドベントカレンダー企画13日目担当、茶推しのゆうと申します。

 

本日でちょうど折り返し、この素敵な企画も半分が終わってしまいました。寂しい。

錚々たるメンバーに囲まれ恐れ慄いておりますが、皆様どうぞよしなに。

 

企画ページはこちら【ヲタのしみクリスマス2018 Advent Calendar 2018 - Adventar

 

 

さて、ブログテーマは「2018年の推し、2018年のわたし」ということで、

このテーマについてズバリ一言で述べるなら

 

「肯定」

 

 

肯定。

同意すること。

そのとおりだと判断し価値を認めること。

 

 

2018年、推しに肯定されながら生きていました。

(既にお気付きかもしれませんが今日のブログは重いです)

(全体的に私の考え事ばかりですのでご注意を)

 

 

 

その時々のことから、オタクとしてのこと、パーソナルなことまで、色々なところで日々推しに肯定してもらっています。

推しさん、いつも本当にありがとう。

 

同様に、推しに生かされている人は多いんじゃないでしょうか。

 

なんかね、推しのおかげで生きているって書くと、字面のスケールが突然大きくなっちゃうんですけど。オタク活動費は医療費だとか生活費だとか、冗談めかして言ったりしますが本当にそうなんですよね。

 

 

多分推しがいなかったら、朝起きて学校に行って家に帰ったら寝て、このサイクルを繰り返すだけの機械のような生活をしていました。

推しがいること、推しが肯定してくれることで生活が彩られて瑞々しさを持ちます。

 

 

 

肯定にも色々なニュアンスがあり、また推しは色々な次元の肯定をしてくれます。

 

 

まず一番大きいのは、オタクの存在を喜んでくれていること。

 

めせもあ。のメンバーは全員、本当にファン思いでパフォーマンスだけでなく人としても素敵な方達です。

こちらの動画のMaze No.9京都公演2部のMCが象徴的でしょうか。

youtu.be

現地でこれを聞いてボロボロ泣いていました。こんな素敵なことを言ってもらえるオタクは幸せ者です。

 

推しがオタクの存在を喜ぶのって当たり前ではなくて、アーティストさんによっては「俺の理念に着いてきたい奴だけ着いてきたらいい」っていうスタンスの方もいらっしゃいます。一匹狼的な姿勢のかっこよさは理解できますし、その強気さが好きな方も多いと思います。

ただ私はなかなかネガティブな性分なので、そういう方を推すと辛いです。

 

 

応援していても大丈夫。

推しがオタクに応援されることを喜んでいる。

 

それらの確固たる証明が無いと、推しを安心して推せないんです。

 我ながらネガティブだなあ。

 

今まで次元、性別、ジャンルを問わず様々なコンテンツのオタクをしてきましたが、このような落ち着ける環境は他にあまり無かったです。その原因は色々で、私個人のお金や時間のキャパを超えてしまったり、オタク全体の雰囲気であったり、はたまたコンテンツそのものが突然終わってしまったり。

 

だから、イルミィでいられてとても嬉しいです。

 

 

 

 

また、チェキ会などで直接お話する機会に言ってくださる言葉にもたくさん支えられてきました。

 

 推しは会いに行ったらいつでも、笑顔で「来てくれてありがとう」「遠い中お疲れ様」と言ってくれます。こっちは会いたいから勝手にお金払って勝手に会いに行ってるだけなのに、ありがとうなんて言ってくださって。推しが北海道から東京に毎週飛んでいたことを思えばこんなの遠くないのに。

 

あまり前向きな性分ではないものですから、私みたいな人間に好かれて嫌だろうな、この前のチェキ会で変なこと言っちゃったな、手紙もこんなに書いたら重いかな、と思い悩むことが多いです。

何を言われたってお世辞だ、お金を払ってるからそれなりの対応をしてもらっているだけだ、と推しの言葉を疑いだしたらキリがないです。

でも推しを疑うのが一番失礼だから、推しがゆっくりと咀嚼して選んでくれる言葉をなるべく疑わずにそのまま受け取って幸せになっています。

 

オタクをし始めてそこそこの月日が経って、ありがたいことに推しはなんとなく私のことを知ってきています。

特典会で学校や家庭のこと、今悩んでることとか、推しには全く関係の無い話をする時があります。地方民のちっぽけなオタクの身の上話をいつものんびりと聞いてくれて、推しがくれる言葉は本当に優しくて、ブースから出るといつも心がポカポカと温かいです。

 

「ゆうちゃんは頑張ってるね、すごいね」と言ってくれた推しの言葉を頭でリピートしながら、自分で埋められない穴を推しに埋めてもらっているんじゃないかな。

 

 

 

 

生活の中で、どこか常に否定されているような、誰かの評価を気にするような、そんな気持ちになるときがあります。

 

例えば、私は大学で理系に進学し、学年の92%が男子という非常に偏った環境にいます。

女子が少ない環境に自ら行った、というだけで心無いことを言われます。

言われなくても、日々そういう圧力を感じることは多いです。

 

行きたくて行った道だから恥じてはいないのですが、どうしてもしんどい時があります。もちろん学業以外にも、疲れたなあとか逃げたいなあとか自分をやめたいなあとか思う時ってあります。

 

でも、推しがオタクである私を肯定してくれているから、ある側面に自信が無くなったとしても、少なくともオタクの側面だけは折れずに残ってそれを支えに立ってられるんですね。推しは今日も素敵だな、あの曲の歌詞が好きだなあ、あのライブの演目よかったなって思って少しだけ前を向けます。

他にも推しがくれた言葉や推しが認めてくれた私が生きているからそれで大丈夫なんです。

 

私は私の苦しい承認欲求のために私を捻じ曲げなくていいし、無理に好きなものを切り捨てる必要もない。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、それが君さ。

 

 

 2018年は私生活が忙しかったこともあり、特に支えられているなあと感じるシーンが多かったです。

みなさんもありませんでしたか。どうかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

とまあ、こんな風に推しに沢山肯定されて生きてきました。

じゃあ逆はどうなのか。私は推しを肯定できたのか、推しに何か恩返しができたのか。

 

結論から言うと、推しを肯定しようと足掻いていました。

実際に出来ていたかと言われたら、自分では分かりません。

 

 

推しを肯定するのって難しいです。

推しを肯定するには、推し本人以外のこと、事務所やグループの方針、スケジュール、その他諸々も肯定しなきゃなりません。

好きである期間が長ければ長いほど、つまり、推しのこれまでをよく知っているほど、新しいことへの拒否反応が強くなってしまいます。好きなのに否定するのは悲しいことですが、好きなものが変化を起こして好きじゃないものになってしまうかもしれない、という不安があるのは仕方のないことです。

 

 

私はかなり感情的な人間で、些細なきっかけでどうしたらいいか分からなくなってしまいます。

 

例えば、恋愛ハンターの踊ってみた動画を出したことは全ての始まりで、あの動画は神格化、礼賛されていますが、当時の私は拒否反応が少しありました。きっと今でも、無知ゆえに恋愛ハンターの重大さを正確に理解することは叶わないでしょう。

なんせゴリゴリの二次元オタクで、もじぴったんひぐらしのなく頃にで育ってきたので、ハロプロの曲はおろかハロプロのグループすら1つも知りませんでした。辛うじて、保育園の頃にゴジラハム太郎とミニモニが映画を一緒にやってたかな…という情報が記憶の片隅にある程度でした(古い)(伝わらない)

それにPerfumenや男子校2年5組、アニソンやVOCALOID楽曲の踊ってみたが好きだったから、勝手に裏切られた気持ちになっていました。オタクって本当に勝手です。

もちろん、今はちゃんと受け入れられています。

 

その後1stシングルのWar CryのMVを見た時も、アイドル文化に触れてこなかった人間にはリップシンクなんて刺激が強すぎて、画面を直視できませんでした。(でも2ndのサマビが圧倒的に可愛くて一瞬で手のひらを返しました。チョロいですね。)

 

こんな感じで上下しつつも、推しへの気持ち(いわゆるモチベってやつ)は比較的高いままだったように思います。

 

 

 

ただ、昨年の今頃はどん底でした。

ちょうど一年前、めせもあ。ベイビーズオーディションの時期です。

 

後輩ができて事務所が大きくなれば、出来ることは確実に増えるし、それに伴って何か推しに新しいチャンスが巡ってくるかもしれない。後輩ができても推しの活動が減るわけじゃない。あの社長が変な人間を入れるわけがない。

 

そんなの最初から分かってたんですけどね。

感情的な私はなかなか受け入れられなかったです。

 

自分たちでアイドルになったむすめん。が、めせもあ。が好きだから、ハナからアイドルにする為に人を集めるオーディションという形式になんとなーく違和感があって、”誰でもドリーム”という名を冠しているのに絶対に誰かを落とさざるを得ないことにもあんまり納得できなくて。好きだった踊り手さんが一次審査に通らずそのまま踊ってみたもSNSも丸ごとやめてしまった時点で見事に爆発し、自分の矛盾した感情をどうしたらいいか分かりませんでした。

あの時期は大変ご迷惑をおかけして各位すみませんでした。

 

 

その後はとりあえず距離を置こうと思ってゆるやかに現場を減らして、ああもう辞め時なのかなって思ったりもして、でも野崎さんのことは好きだから、ってグルグルしていました。せっかくアンフェアな月の舞台出演も決まったのに。

 

4月にはMazeツアー後半のFCチケットの申し込みがあったけど食指は動かず、辛うじて地元公演だけ申し込んであとは放り出していました。

 

 

しばらくしてパンダドラゴンが結成されると発表がありました。

パフォーマンスを直接見てみたくて、とりあえず現場に行きました。

自分の目で見て、みんなアイドル初心者とは思えないくらい素敵だったのに、推しが見つかりませんでした。フレッシュでキラキラして、全員ステージをすごく楽しんでるのになんでだろうと困り果ててその日は帰りました。

そしたら後日、もう一人加入したんです。

6人から7人になって、もう一度パフォーマンスを見たら、私の推しは7人目の子になりました。

 

それでやっとオーディションが私の中で腑に落ちたというか。心の底から納得できたかと言われれば、今でも踊り手をやめていったあの人を忘れられないし、でも本当の意味での”誰でも”なんて無理なことくらい最初から分かっていたんです。

なんとか私なりに折り合いを付けたつもりです。実に半年以上もかかって。

 

 

結局戻ってくるのは野崎さんのところでした。

 

以前特典会で

「茶推しが他のところに行くのってぶっちゃけどう思ってるんですか。」

と聞いたことがあります。

推しはにこにこしながら

「んー全然いいよー。最後にちゃんと俺のところに戻ってきてくれれば。」

なんて冗談めかして言ってたんですけど、まさか本当にそうなるとは。

 

 

 

それ以降はどうにかこうにか、推しを、DDを、肯定したい日々です。

 

8月や11月はスケジュールが大変タイトで、メンバー全員10連勤以上もして。ついていくだけで疲労困憊しましたから、ステージに立つ側の苦労は計り知れません。

でも本当に無理なスケジュールなら推しは拒否するだろうし、それが決まってるということは推しは大丈夫だと思ったのだから、心配でもそれを信じるしか無いなって思います。

 

DDPみたいに合同のイベントは、どこかのグループ単推しの方の中にはよく思わない方もいると思います。単独イベントに比べたら相対的な推しの出演時間は減るわけですし。

でも推しは練習頑張ってるし、大人数で準備するのは大変だけど楽しそうにしていて、何より後輩が出来ることをとても喜んでいたから、私もそれを喜べたらいいなって思います。

 

今後もきっとそうです。

 

 

 

そもそも好かれることってプレッシャーです。

アイドルとして期待されるプレッシャーや、好かれている自分、つまりアイドルである自分を好きにならなきゃいけないプレッシャーを与えていないかとても心配になります。

肯定感がないと、他人に好かれてもそれを受け入れられないので。

アイドルとしての推しを推すことで、私が推しに肯定感を貰っているように、少しでも推しの自信や活力に繋がったらいいなあなんて夢想的なエゴを持って、これからも細く長くオタクしていきます。

 

 

初めて画面越しに推しを見た時は義務教育中だったというのに、現在ではお酒が飲める歳になりました。大学生になるまで諸事情で現場には来られなくて、それを引け目に感じることもたくさんあったけど、 あんまり気にせず、マイペースに。

 

 

 

2019年も素敵な一年になりますように。

ではまた。明日の企画もお楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

約二年前に書いた怪文書です。

 

rkms-msmn.hatenablog.com

  

今度こそ、ではまた。

ゆう(twitter:@rkms_msmn)

 

MeseMoa.プリキュア!第0話

と、わたしの話。

 

 

【※注意※】引き返すなら今です

 

 

 

あー、今日も株式会社DDがプリキュアオールスターズだな〜。

 

 

初めまして。
ブログアドベントカレンダー企画『ヲタのしみクリスマス2018』12日目を担当させて頂きます。練消いぶきと申します。


企画ページ……【https://adventar.org/calendars/3354
企画用アカウント……【@msmadventar2018】


主催のなつみ(道産)[@gyutan_umaiyo]さん、このようなとっても素敵な企画に参加させてくださり、本当にありがとうございます!
錚々たる顔ぶれの中、わたしなんかが仲間に入って本当に良かったのか些か不安ではありますが、精一杯務めさせて頂きます。

 

 

テーマは、【2018年の推し、2018年の私】

 

そうですね。


わたし、2018年、

オタクとして、特に何もしてないんですよね。

 

 

2018年はわたしにとって、“我慢の年”でした。

わたしのことをご存知の方は分かっているかもしれませんが、
わたしってとんでもないワガママ娘なんですよ。

諸々の事情で、元より少ない現場数をさらに減らさないといけなかった。
推しさん達のことは去年よりずっとずっと好きになっているのに、入れたライブの数は去年と同じかそれより少ないくらい。


めちゃくちゃ悔しかった。

同じ年代の友達は、わたしよりずっとたくさんの公演に入って、ずっとたくさん推しと写真を撮って、ずっとたくさんオタクと遊んで、メンバーと一緒にたくさん泣いたり笑ったりして。

すっっごく羨ましかった。

なんでわたしはそこにいないの?
イベントがある日の度に思った。

「行けるだけ良い」「応援できるだけで幸せ」「数が全てじゃない」
全部、綺麗事にしか聞こえなかった。

わたしはそんな風に考えられるほど良い子じゃない。

行けるだけじゃ満足できない。心で応援するだけじゃ嫌。数の少ないわたしが許せない。
行きたいイベントには行きたいし、会いたい人には会いたいし、用事なんて全部すっぽかして好きなことだけして生きてたい。
好きなだけ現場行きたい、推しソロやストーリーのためだけに遠くまで飛びたい、推しさんの凱旋公演に参加したい、推しさんに会った瞬間に名前呼んで貰えるくらいまで通いたい、なんなら強くて有名なオタクにだってなりたい。

なんでもっとたくさん行けないの?
なんでようやく推しさんが写真集出したのに、わたしは1冊しか買えないの?
しかもこれ、親のお金だし。

その1冊が大事なんだよ、と言われても、わたしはどうしても、嬉しいと思えなかった。

リリイベだって行きたかった。わたしも写真集積んでオリコンに貢献したんだよって言いたかった。
自分の力でお金作ってさ。

時間もお金も余裕もバイトの許可もない、石ころか雑草みたいな小娘のそんな願いは、まあ当然叶うはずもなく。

あと1年。来年の今頃には。今年よりもっと。

「来年には絶対」という、具体的なのか抽象的なのかなんだかよくわからない言葉で自分を慰め、励ましながら、ひたすら我慢して1年を過ごしてきました。

 

なにやらボロボロとぶちまけてしまいましたが、
決してこの1年が幸せじゃなかったというわけではないのです。

推しさんがセンターを務めたシングルのリリースイベントでは、今までで一番楽しくお話することができました。

舞台・アンフェアな月も一度だけでしたが観に行かせて貰い、推しさんの勇姿を見届けられました。

ツアーでは最寄りの公演で偶然にも推しさんのソロとサブのストーリーがあり、24日にはツアーファイナルに行けることも決まりました。

(それらの感想やその先の感情は、他の方々がたくさんの素敵な文章に収めてくださっていると思うので、わたしは手を出さずにおきますね)

その時々で、たくさんの幸せ成分を推しさん達から分けて貰いました。
現場に多く行けないくらいで、彼らから貰う幸せの大きさが揺らぐわけがありません。

やっぱり、わたしの考えが贅沢すぎるんです。
でもわたしは、この贅沢な考えを捨てる気は毛頭ありません。

2019年は、2018年よりもっと、もっとずーっと幸せな年にしてやるんです。

それで、わたしが幸せにオタクする姿を推しさんにも見て貰って、こんなに幸せそうに推してくれて嬉しいな、アイドルでいられて幸せだなって思わせてやるんです。

だって、わたしには未来がある。推しさんにだって、未来がある。

好きなことなら、これからでもたくさんできる。
行きたい場所にも行ける。会いたい人にも会える。
これからは、自分で使いたいお金も自分で作っていける。

MeseMoa.さんの武道館への道のりも、まだまだこれからです。
それまできっと、推しさんはステージに立っていてくれると、わたしは信じていられる。

その先もまた、幸せな気持ちで応援させてくれると、わたしは信じている。

 

なんでもできる、なんでもなれる。
今年したたくさんの“我慢”は全部、未来のためでした。

これが「2018年の私」が辿り着いた答えです。

 

 

じゃあ、「2018年の推し」はどうか。

そうだなあ。

今年のわたしは、明確に推しさんだけを、と言うよりは、MeseMoa.さんという概念を丸ごと推していた気がする。
同じ空間を共有しながら、色のついたキンブレを振る機会が少なかった分、遠く離れたここからでも見えるところをのんびり見渡すことができたから。

勿論、一推しの存在は揺るがないんですけどね。

あ、茶推しです。申し遅れすぎました。

 


そうだなあ。

2018年は、わたしの大好きな「プリキュア」シリーズが15周年を迎えた年だなあ。

MeseMoa.さんって、プリキュアなんだよなあ。

これ、ずっと言ってるんですけど。

わたしの推しアイドルさん達って、みんなプリキュアなんだよなあ。
株式会社DDはプリキュアオールスターズだし。

うーん。

大好きなものと大好きなものが合わさったら、とっても大好きなものができるかな。
プロセスチーズに生クリームかけたらおいしいみたいに。

そうだなあ。

 

 

MeseMoa.プリキュアにしてみた 〜2018年版〜

 


これしかない。

 

 

ドンドンパフパフ

 

そんなわけでして。

 


MeseMoa.の皆さんに、プリキュアになって頂きました。

 

※独断と偏見がひどいのでお読みの際は注意してください

 

 

それでは

 


はっじまっるよ〜☆
(尚ここからほぼ蛇足の模様)

 

 

白服さんは、ピンク色キュアエール
気が弱くて、大人しくて、虫が嫌いで、自分を好きになれなかった彼は、引っ越して来た新しい街で、突然空から降ってきた喋るぬいぐるみのような生き物と出会う。
その時異形の怪物が目の前に現れ、妖精だと名乗った喋るぬいぐるみに襲い掛かった。
対抗する術を持たない自分を、出来もしないのに小さな体で守ろうとする妖精の姿を見て、「この子を守りたい」という強い思いを抱き、プリキュアとして戦う力を手に入れた。
段々と自信と勇気を手に入れていき、時に涙や絶望を味わいながらも成長を重ねていく、王道ピンクプリキュア

 


あおいくんは、ピンク色キュアハート
いつでも周りに慕われる人気者。出会った人はみんな友達、出来ないことなんてない。
困っている人を放っておけない精神から、あっさりとプリキュアになって戦うことを決めた。
しかし、今まで何にも困らず全てがこなせたために、自分の力だけではどうしようもないことがあると知ったとき、今までになかった負の感情にぶち当たることになる。
初めて自分から仲間に助けを求め、仲間の力を借りて乗り越えたその時、人として、プリキュアとして真に強くなることができた。
愛と友情を力にして戦う、主人公気質の圧倒的ヒーロー。

 


気まぐれプリンスさんは、紫色キュアピーチ
違う世界にある小さな王国の王子様。
家族や国民達と幸せに暮らしていたが、ある日突然、王族に代々伝わる“秘宝”を狙う謎の組織に国を奪われてしまう。
両親に“秘宝”を託され、別の世界へと送り出された彼。それの持つ力を使えば、伝説の戦士・プリキュアに変身して、国を奪った者達と戦えるのだと、共に飛ばされた妖精に教えられる。
故郷を取り戻すために、悲劇を繰り返させないために、戦いの幕を開けることとなった。
辛い過去を持ちながらも明るく笑い、してきたことを後悔する者ならたとえ仇でも許すことのできる、強さと優しさに溢れたプリキュア

 


フォーゲルさんは、黄色キュアビート
感情を知らず、愛を知らず、世界を不幸にするための冷たい道具として作られ、使われてきた彼だったが、
プリキュアを騙して懐に潜り込むという作戦の最中、自分を友達だと信じるプリキュア達の優しさと愛情に触れてしまう。
敵側から寝返った後、仲間になった子達と手を繋ぎながら、丘の上で今まで不幸にしようとしてきた世界に向かって「ごめんなさい」って叫んだ。
誰にも言わなかったけれど、その「ごめんなさい」には、裏切ることになってしまった生みの親への思いも込められていた。
最後には、自分を作り出したかつてのボスを、自分が救われたのと同じ方法で不幸から救い出すことに成功する。

 


ノックソさんは、白色キュアマジカル
意地っ張りの微ツンデレキャラ。好きな人達に心配を掛けたくないから、大丈夫じゃなくても大丈夫って言うし、すぐ「そんなことないで」って言ってしまう。強さと弱さをミルフィーユみたいに重ねて抱えた性格。そんな彼を見て、自分に自信があるのかと思っていたけれどどうやら違うらしいと気付いた仲間達に、ひたすらに甘やかされる回の放送が待たれる。最初は意図が分からず困惑していたが、敵に邪魔されて怒ったみんなが叫んだ、自分への想いを聞いて泣いてしまった。17話。
基本的に作画が良く、変身シーンは1人だけ明らかに枚数が多い。

 


二番煎じくんは、青色キュアリズム
普段は静かでクールな雰囲気を纏っているが、これと決めたことへの情熱は人一倍。
あまり言葉や態度には出さないし、同じ青色のとみたけさんとシンメにされがちなのを嫌がったりニヤニヤしながら人をからかったりするけど、心の中では何よりも仲間や友達を大切に想っている。
大切に思う誰かを守るためなら自分の身を厭わないことも多いので、劇場版ではヒロインポジを持っていきがち。
一際背の高い彼が、最高の笑顔で仲間達にぎゅうぎゅうに囲まれた鉛筆画風のエンドカードください。

 

野崎弁当さんは、紫色キュアビューティ
一見不思議な、しかし自分の心の中に絶対的な芯を持つプリキュア
争いを好まず、敵が現れても戦うより先に対話での平和的解決を図ろうとする。何回もそうしてきて、話が通じない相手なのは分かっているはずなのに、それでも毎回、現れた敵と話し合おうとする。
フォーゲルの光堕ちには、彼の言葉も少なからず影響した。
誰かの好きなものや大切なものをわざと壊そうとする者を絶対に許さず、敵がそれを企んだときには仲間でも怯える程の剣幕で潰しに行く。
シュールな回とかっこいい回での作画の違いでグッピーが絶滅する。

 


とみたけさんは、青色キュアマリン
歴代青キュアの品格をぶち壊した、元気で明るくてうるさいお調子者。しかし誰かが悲しんでいる時には、誰よりも早く声を掛けて励まそうとする天性の良い子。
代わりに人の分までネガティブな感情を抱えてしまったり、自分の悩みやコンプレックスをなかなか人に打ち明けられなかったりしがちで、闇落ちは累計で2回した。
その度に仲間たちに全てを受け止められ、支えられて戻ってきた彼は、
自分と同じような思いを持ちながら、頼れる誰かがいなかったために暴走してしまった敵の親玉に対して、倒すのではなく助けて友達になろうと思うようになった。

 


にーちゃんは、オレンジ色キュアルージュ
真面目で優しく、強いプリキュアだったが、それゆえに「敵とはいえ、誰かの目的を邪魔したり希望を奪うことが本当に正しいのか」という疑問を抱いてしまい、一度、自らプリキュアの力を手放した。
以来仲間達と会う機会も減っていたが、ある日彼が元プリキュアであると気付いた敵に目を付けられ、プリキュアとして戦い続けていた仲間達に助けられる。自分を守ろうとして傷ついていく、大切な人達の姿を目の当たりにした彼は、依然として答えの出ていなかった問いをついに振り切った。
「何が正しくて何が正しくないかなんて、俺にはまだ解らない。だけど俺は、俺の大好きな人を傷つけることは絶対に許せない!」

 


ぜあらる。さんは、タルトっぽい妖精。
オレンジ色でタレ目のうさぎみたいなのを思い浮かべてもらえばOK。関西弁。
気まぐれプリンスさんと一緒にこの世界に飛んできたが、うっかりはぐれてしまい、色々あって空から白服さんの顔面目掛けて着地した。
どうでもいいことでは無駄に人を頼りまくるくせに、ピンチのときには自分がプリキュアを守ろうとする健気さも持っている。
人間の姿にもなることもでき、劇場版ではプリキュアに変身した。かわいい。

 

MeseMoa.プリキュア

 

 

……放送開始、まだですかね。

テ○朝さん、お願いします。

爆裂戦隊チョコレンジャー・仮面ライダーパラゴンと一緒に放映しませんか?

 

…………。

 

 

 

2018年ももうすぐおしまいです。

今年も、なんだかんだ幸せな1年を過ごすことができました。

果たして2019年は、

MeseMoa.さんにとって、わたしたちオタクにとって、どんな1年になるのでしょう。

来年もまた、彼らからたくさんの幸せを分けて貰い、

わたしたちの幸せも、たくさん届けられたら素敵ですよね。

今年もまだ、12月24日のツアーファイナルやDDカウントダウンコンサートが控えています。

一体どんなイベントになるのでしょう。

 

MeseMoa.さん、ひいては株式会社DDさんのさらなる活躍を祈り、

このブログを閉じさせて頂きます。

 

ここまでお読みくださった方、どうもありがとうございました。

 

 

 

宣誓
わたしはこのブログを世界に発信することで
2018年の間の寂しかった気持ちとお別れし
楽しいと嬉しいと幸せの詰まった
どんな終焉にも恥じぬ笑顔で
2019年を迎え 過ごしていくことを誓います
2018年12月12日担当
練消いぶき[@nerichan_3]

 

 

おわり。

 

 

 

いつか他グループさんでもやります(いらん)