ブログ企画『ヲタのしみクリスマス2018』

イルミィブログ合同企画『ヲタのしみクリスマス2018』の特設ブログページです

Door to Door

アドベントカレンダー企画「ヲタのしみクリスマス」

6日目 担当:いきの@2ikino5(二番煎じ推し、自称MeseMoa.考察班)

企画ページ:https://adventar.org/calendars/3354 

 

テーマ【2018年の推し、2018年のわたし】

 

 

 

 

 12月6日、木曜日。

 師走に入ったばかりの、ただの寒い平日。

 

 12月のカレンダーをめくった時、書き込まれている予定の多さに我ながら驚かされた。年末年始はやっぱり忙しい。ただし、エメラルドグリーンで書かれた予定はたったひとつだけ。今年1番の楽しみではあるのだけど、ちょっとだけ寂しくなる。

 

 ふと思い立ってカレンダーを遡った。1月、3月、4月、5月、8月、9月、11月。推しに会えたのは合計11日、12月の大切な予定を含めても365日中たったの12日という計算になる。しかも直接言葉を交わしたのなんて3日か4日だけ。数字にしてみるとこんなにもわずかな時間なのに、私に「今年の推し」を語る資格なんてあるんだろうか?

 

 かと言って「何もありません」で終わらせるつもりも毛頭なくて、見えていた範囲を語れないなら見えなかった部分に想像力を働かせればいい。思い返せば去年の彼は、ソロ曲、朗読劇、写真集と常に表舞台に立っていた。追いかける側も次から次に発表されるニュースに嬉しい悲鳴をあげ、こんなに脚光を浴びる日が来るなんて信じられないとお祭り騒ぎ。去年の今頃はミュージカルに思いを馳せ、演技という新しい扉を開いた推しへの期待に胸を膨らませていたはずだ。

 

 それが今年はどうだろう。もちろんほかのメンバーにスポットが当たることに不満なんて1ミリもなく、9人揃ってロングスパンのツアーが開催されたことは何よりも嬉しいこと。それでも去年よりは頑張ってスケジュールを調整する必要がなく、比較的穏やかな気持ちで1年を過ごしてきたように思う。

 

 ......穏やかな気持ち? 本当に? 4月の15日、「ODOTTEMITA ANNIVERSARY」の日、早朝からほぼ始発みたいな電車でディファ有明に向かっていた時のゆりかもめの先頭車両では確かに穏やかな気持ちだった。それなのにリハーサル見学でとんでもないメンツの中に彼がいるのを見つけた時、また今年も彼から目が離せない時代になると確信させられたじゃないか。あの時は自分が夢か幻でも見ているような気持ちで、そういえば第3部のサブタイトルは「幻」と名づけられていたことを思い出した。

 

 あの日、あの瞬間まで彼があのチームで練習をしていたことなんて微塵も知らなくて。でもツイートを遡ってみたら確かに自分のスキル不足に悩むような言葉は呟いていたんだ。あの日までどれほどの努力を重ねたのかなんて、それほど頭を使わなくても動画を見れば分かる。ソロパートをもらった彼がどんな思いで踊っていたのか、いつかじっくり直接話を聞いてみたい。

 

 「ダーリン」でのコラボに驚いたのは何も彼のダンススキルを甘く見ていたからではなくて、よっぽどの事がなければ「踊ってみた」に参加することはほとんどないと思っていたからだ。アイドルになったきっかけも踊るのが好きというよりは踊ってみたら大変なことになってきたという方が正しくて、私はこれを「ラノベの主人公体質」と密かに呼んでいる。とにかく「踊ってみた」より今は「アイドル」を優先していたような人だから、去年の聖誕祭で軽く口にしていた「次踊ってみたやるなら…」という言葉だってすっかり忘れていた。

 

 それなのに、まさか私が足を運ばなかった宮城公演でその時言っていた「ELECT」を踊るなんて! 人生はなんて無情で神はどこまで無慈悲なんだ、と嘆いたところで100%自分が悪いことに変わりはない。とにかく私はTLに流れてくるレポをかき集めて、「有言実行してくれた」「その場にいた全員の心を掴んだ」という事実を大事に大事に噛み締めた。

 

 彼は適当な約束をする人じゃない。適当なことを言うのはしょっちゅうだけど、少なくとも自分が口にしたことを忘れるほど考えなしに発言する人じゃないだろう。「ELECT」だって本気でやりたいと思っていたからこそ口に出した。彼が頑張ってると言うときは本当に頑張ってる時だし、疲れたって呟く時はこれ以上無理をしないようにコンディションを整えている時だ。だから「オシャレになれるように努力してる」って言われたら期待して待つしかないし、実際最近の私服は前と全然違うんじゃないだろうか。何せ普段からハイブランドからカジュアルブランドまで着こなすおしゃれ番長に囲まれているのだから、その気になればいくらだってセンスを磨けるはず。私はゲームのTシャツを着こなしちゃうところも好きだったけど、おしゃれになってもっといろんな女子の心を掴めるならやらないと損だ。

 

 個人として目立った活躍は無くても、彼は確実に変わっている。これまでの積み重ねが実を結んだのが去年なら、今年はまた更に上を目指すための年。水面下で努力を重ねるからこそ、次から次へと巡ってきたチャンスを漏らさずに掴むことが出来る。そもそも水面下って言ったってステージには立ち続けているのだから、そのための努力の上にさらにプラス‪‪α‬で積み重ねることがどれほど大変か。私はツアーファイナルまで確かめる術はないけど、このツアーで彼の変化を感じている人はどうやら翡翠推しだけではないことも知っている。

 

 個人仕事だけが成果じゃない。むしろ9人でのステージを成功させることこそ「武道館」という目標を達成する近道。グループの外側で推しが活躍するのが嬉しすぎて、少し強欲になっていたことに気づいた。今までと違う新鮮な日々が幸せすぎて、もっと認められて欲しいと願うようになるなんて。自己承認欲求にも似たこの気持ちは、間違いなく彼が教えてくれたもの。言葉にするなら「多幸感依存症による“推し”承認欲求」とかだろうか。

 

 推しにとっての2018年が見えない努力を重ねていた年だったのなら、私は感性を養うための1年だったと思う。2018年は今まで追ってきたものはもちろん、新しいものを観る機会を増やした。単純に観たかったからって言うのもあるけど、いろんなものをこの目で見て、自分の知らない世界を知って、それから推しを見たらまた世界が変わるんじゃないかってそんな気がしたから。同じものを繰り返し観れば些細な変化や進化に気づくことが出来るけど、全く違うものと比較することで新しい観点から見ることが出来る。ただいくら新しいものを見ても、MeseMoa.が奇跡すぎるグループだって言う印象は全く変わらなかった。普遍的なものなんかじゃない、誰にも似ていない特別な道を歩んでいるってことが私の中で改めて証明された。「何を見ても彼らに対する気持ちが変わらない」という言葉は、実際ほかに目を向けてからじゃないと説得力を持たせられない。

 

 全員がこちら側に戻ってくるはずの、12月24日のことを想像する。きっと私は前夜の胸の高鳴りで無駄に夜更かしをしてしまって、いつも通りギリギリまで布団をかぶってから大慌てで準備をするのだろう。チケットとキンブレを忘れていないか何度も確かめて、初めて行く会場まで電車に揺られて。会場の空気は相当浮き足立ってるに違いない。開場までの時間は、いろんな人とワクワクやソワソワを分かち合うための時間だと思う。私は人より待つことを苦に感じないから1人でも平気だけど、特別な日くらい誰かと分かち合えたらいいな。会場に足を踏み入れて、キンブレを握りしめて、いい加減待ち時間が永遠に感じられた頃にふっと客電が落ちて——。

 

 想像出来るのはここまで。この先は何も分からない。分からないけれど、きっとどんな想像を巡らせたって追いつかないステージになるんだろう。これまでがずっとそうだったように。

 

 2018年の推しは、2018年の私は、正しい扉を選んで開くことが出来ただろうか。うっかり自分がMeseMoa.のいない世界に迷い込んでしまったような日々だったけど、手を取って連れ戻してくれる人が居ないなら自分の力でドアを開けないと。迷路に迷い込まなくたって"もう一つの世界"への扉はどこにだって現れる。だからこそ今は、私も彼らも"この世界"を選んでいるということを喜びたい。

 

 カレンダーを眺めて思い出を辿るだけで、随分気持ちの重い回想になってしまった。引き出しから新しいカレンダーを取り出して、今年のカレンダーと並べる。まだ開かれていない12の扉。今度は誰もはぐれないように、みんな揃って全ての扉を開けますように。