推しと肯定の話
初めまして。
アドベントカレンダー企画13日目担当、茶推しのゆうと申します。
本日でちょうど折り返し、この素敵な企画も半分が終わってしまいました。寂しい。
錚々たるメンバーに囲まれ恐れ慄いておりますが、皆様どうぞよしなに。
企画ページはこちら【ヲタのしみクリスマス2018 Advent Calendar 2018 - Adventar】
さて、ブログテーマは「2018年の推し、2018年のわたし」ということで、
このテーマについてズバリ一言で述べるなら
「肯定」
肯定。
同意すること。
そのとおりだと判断し価値を認めること。
2018年、推しに肯定されながら生きていました。
(既にお気付きかもしれませんが今日のブログは重いです)
(全体的に私の考え事ばかりですのでご注意を)
その時々のことから、オタクとしてのこと、パーソナルなことまで、色々なところで日々推しに肯定してもらっています。
推しさん、いつも本当にありがとう。
同様に、推しに生かされている人は多いんじゃないでしょうか。
なんかね、推しのおかげで生きているって書くと、字面のスケールが突然大きくなっちゃうんですけど。オタク活動費は医療費だとか生活費だとか、冗談めかして言ったりしますが本当にそうなんですよね。
多分推しがいなかったら、朝起きて学校に行って家に帰ったら寝て、このサイクルを繰り返すだけの機械のような生活をしていました。
推しがいること、推しが肯定してくれることで生活が彩られて瑞々しさを持ちます。
肯定にも色々なニュアンスがあり、また推しは色々な次元の肯定をしてくれます。
まず一番大きいのは、オタクの存在を喜んでくれていること。
めせもあ。のメンバーは全員、本当にファン思いでパフォーマンスだけでなく人としても素敵な方達です。
こちらの動画のMaze No.9京都公演2部のMCが象徴的でしょうか。
現地でこれを聞いてボロボロ泣いていました。こんな素敵なことを言ってもらえるオタクは幸せ者です。
推しがオタクの存在を喜ぶのって当たり前ではなくて、アーティストさんによっては「俺の理念に着いてきたい奴だけ着いてきたらいい」っていうスタンスの方もいらっしゃいます。一匹狼的な姿勢のかっこよさは理解できますし、その強気さが好きな方も多いと思います。
ただ私はなかなかネガティブな性分なので、そういう方を推すと辛いです。
応援していても大丈夫。
推しがオタクに応援されることを喜んでいる。
それらの確固たる証明が無いと、推しを安心して推せないんです。
我ながらネガティブだなあ。
今まで次元、性別、ジャンルを問わず様々なコンテンツのオタクをしてきましたが、このような落ち着ける環境は他にあまり無かったです。その原因は色々で、私個人のお金や時間のキャパを超えてしまったり、オタク全体の雰囲気であったり、はたまたコンテンツそのものが突然終わってしまったり。
だから、イルミィでいられてとても嬉しいです。
また、チェキ会などで直接お話する機会に言ってくださる言葉にもたくさん支えられてきました。
推しは会いに行ったらいつでも、笑顔で「来てくれてありがとう」「遠い中お疲れ様」と言ってくれます。こっちは会いたいから勝手にお金払って勝手に会いに行ってるだけなのに、ありがとうなんて言ってくださって。推しが北海道から東京に毎週飛んでいたことを思えばこんなの遠くないのに。
あまり前向きな性分ではないものですから、私みたいな人間に好かれて嫌だろうな、この前のチェキ会で変なこと言っちゃったな、手紙もこんなに書いたら重いかな、と思い悩むことが多いです。
何を言われたってお世辞だ、お金を払ってるからそれなりの対応をしてもらっているだけだ、と推しの言葉を疑いだしたらキリがないです。
でも推しを疑うのが一番失礼だから、推しがゆっくりと咀嚼して選んでくれる言葉をなるべく疑わずにそのまま受け取って幸せになっています。
オタクをし始めてそこそこの月日が経って、ありがたいことに推しはなんとなく私のことを知ってきています。
特典会で学校や家庭のこと、今悩んでることとか、推しには全く関係の無い話をする時があります。地方民のちっぽけなオタクの身の上話をいつものんびりと聞いてくれて、推しがくれる言葉は本当に優しくて、ブースから出るといつも心がポカポカと温かいです。
「ゆうちゃんは頑張ってるね、すごいね」と言ってくれた推しの言葉を頭でリピートしながら、自分で埋められない穴を推しに埋めてもらっているんじゃないかな。
生活の中で、どこか常に否定されているような、誰かの評価を気にするような、そんな気持ちになるときがあります。
例えば、私は大学で理系に進学し、学年の92%が男子という非常に偏った環境にいます。
女子が少ない環境に自ら行った、というだけで心無いことを言われます。
言われなくても、日々そういう圧力を感じることは多いです。
行きたくて行った道だから恥じてはいないのですが、どうしてもしんどい時があります。もちろん学業以外にも、疲れたなあとか逃げたいなあとか自分をやめたいなあとか思う時ってあります。
でも、推しがオタクである私を肯定してくれているから、ある側面に自信が無くなったとしても、少なくともオタクの側面だけは折れずに残ってそれを支えに立ってられるんですね。推しは今日も素敵だな、あの曲の歌詞が好きだなあ、あのライブの演目よかったなって思って少しだけ前を向けます。
他にも推しがくれた言葉や推しが認めてくれた私が生きているからそれで大丈夫なんです。
私は私の苦しい承認欲求のために私を捻じ曲げなくていいし、無理に好きなものを切り捨てる必要もない。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、それが君さ。
2018年は私生活が忙しかったこともあり、特に支えられているなあと感じるシーンが多かったです。
みなさんもありませんでしたか。どうかなあ。
とまあ、こんな風に推しに沢山肯定されて生きてきました。
じゃあ逆はどうなのか。私は推しを肯定できたのか、推しに何か恩返しができたのか。
結論から言うと、推しを肯定しようと足掻いていました。
実際に出来ていたかと言われたら、自分では分かりません。
推しを肯定するのって難しいです。
推しを肯定するには、推し本人以外のこと、事務所やグループの方針、スケジュール、その他諸々も肯定しなきゃなりません。
好きである期間が長ければ長いほど、つまり、推しのこれまでをよく知っているほど、新しいことへの拒否反応が強くなってしまいます。好きなのに否定するのは悲しいことですが、好きなものが変化を起こして好きじゃないものになってしまうかもしれない、という不安があるのは仕方のないことです。
私はかなり感情的な人間で、些細なきっかけでどうしたらいいか分からなくなってしまいます。
例えば、恋愛ハンターの踊ってみた動画を出したことは全ての始まりで、あの動画は神格化、礼賛されていますが、当時の私は拒否反応が少しありました。きっと今でも、無知ゆえに恋愛ハンターの重大さを正確に理解することは叶わないでしょう。
なんせゴリゴリの二次元オタクで、もじぴったんとひぐらしのなく頃にで育ってきたので、ハロプロの曲はおろかハロプロのグループすら1つも知りませんでした。辛うじて、保育園の頃にゴジラとハム太郎とミニモニが映画を一緒にやってたかな…という情報が記憶の片隅にある程度でした(古い)(伝わらない)
それにPerfumenや男子校2年5組、アニソンやVOCALOID楽曲の踊ってみたが好きだったから、勝手に裏切られた気持ちになっていました。オタクって本当に勝手です。
もちろん、今はちゃんと受け入れられています。
その後1stシングルのWar CryのMVを見た時も、アイドル文化に触れてこなかった人間にはリップシンクなんて刺激が強すぎて、画面を直視できませんでした。(でも2ndのサマビが圧倒的に可愛くて一瞬で手のひらを返しました。チョロいですね。)
こんな感じで上下しつつも、推しへの気持ち(いわゆるモチベってやつ)は比較的高いままだったように思います。
ただ、昨年の今頃はどん底でした。
ちょうど一年前、めせもあ。ベイビーズオーディションの時期です。
後輩ができて事務所が大きくなれば、出来ることは確実に増えるし、それに伴って何か推しに新しいチャンスが巡ってくるかもしれない。後輩ができても推しの活動が減るわけじゃない。あの社長が変な人間を入れるわけがない。
そんなの最初から分かってたんですけどね。
感情的な私はなかなか受け入れられなかったです。
自分たちでアイドルになったむすめん。が、めせもあ。が好きだから、ハナからアイドルにする為に人を集めるオーディションという形式になんとなーく違和感があって、”誰でもドリーム”という名を冠しているのに絶対に誰かを落とさざるを得ないことにもあんまり納得できなくて。好きだった踊り手さんが一次審査に通らずそのまま踊ってみたもSNSも丸ごとやめてしまった時点で見事に爆発し、自分の矛盾した感情をどうしたらいいか分かりませんでした。
あの時期は大変ご迷惑をおかけして各位すみませんでした。
その後はとりあえず距離を置こうと思ってゆるやかに現場を減らして、ああもう辞め時なのかなって思ったりもして、でも野崎さんのことは好きだから、ってグルグルしていました。せっかくアンフェアな月の舞台出演も決まったのに。
4月にはMazeツアー後半のFCチケットの申し込みがあったけど食指は動かず、辛うじて地元公演だけ申し込んであとは放り出していました。
しばらくしてパンダドラゴンが結成されると発表がありました。
パフォーマンスを直接見てみたくて、とりあえず現場に行きました。
自分の目で見て、みんなアイドル初心者とは思えないくらい素敵だったのに、推しが見つかりませんでした。フレッシュでキラキラして、全員ステージをすごく楽しんでるのになんでだろうと困り果ててその日は帰りました。
そしたら後日、もう一人加入したんです。
6人から7人になって、もう一度パフォーマンスを見たら、私の推しは7人目の子になりました。
それでやっとオーディションが私の中で腑に落ちたというか。心の底から納得できたかと言われれば、今でも踊り手をやめていったあの人を忘れられないし、でも本当の意味での”誰でも”なんて無理なことくらい最初から分かっていたんです。
なんとか私なりに折り合いを付けたつもりです。実に半年以上もかかって。
結局戻ってくるのは野崎さんのところでした。
以前特典会で
「茶推しが他のところに行くのってぶっちゃけどう思ってるんですか。」
と聞いたことがあります。
推しはにこにこしながら
「んー全然いいよー。最後にちゃんと俺のところに戻ってきてくれれば。」
なんて冗談めかして言ってたんですけど、まさか本当にそうなるとは。
それ以降はどうにかこうにか、推しを、DDを、肯定したい日々です。
8月や11月はスケジュールが大変タイトで、メンバー全員10連勤以上もして。ついていくだけで疲労困憊しましたから、ステージに立つ側の苦労は計り知れません。
でも本当に無理なスケジュールなら推しは拒否するだろうし、それが決まってるということは推しは大丈夫だと思ったのだから、心配でもそれを信じるしか無いなって思います。
DDPみたいに合同のイベントは、どこかのグループ単推しの方の中にはよく思わない方もいると思います。単独イベントに比べたら相対的な推しの出演時間は減るわけですし。
でも推しは練習頑張ってるし、大人数で準備するのは大変だけど楽しそうにしていて、何より後輩が出来ることをとても喜んでいたから、私もそれを喜べたらいいなって思います。
今後もきっとそうです。
そもそも好かれることってプレッシャーです。
アイドルとして期待されるプレッシャーや、好かれている自分、つまりアイドルである自分を好きにならなきゃいけないプレッシャーを与えていないかとても心配になります。
肯定感がないと、他人に好かれてもそれを受け入れられないので。
アイドルとしての推しを推すことで、私が推しに肯定感を貰っているように、少しでも推しの自信や活力に繋がったらいいなあなんて夢想的なエゴを持って、これからも細く長くオタクしていきます。
初めて画面越しに推しを見た時は義務教育中だったというのに、現在ではお酒が飲める歳になりました。大学生になるまで諸事情で現場には来られなくて、それを引け目に感じることもたくさんあったけど、 あんまり気にせず、マイペースに。
2019年も素敵な一年になりますように。
ではまた。明日の企画もお楽しみに。
おまけ
約二年前に書いた怪文書です。
今度こそ、ではまた。
ゆう(twitter:@rkms_msmn)