ブログ企画『ヲタのしみクリスマス2018』

イルミィブログ合同企画『ヲタのしみクリスマス2018』の特設ブログページです

それは、ありがとうからはじまる

みなさんこんばんは。ツアーファイナルを控えた、聖夜というにはまだ少しだけ早い冬の夜、いかがお過ごしでしょうか。私は慣れない都会でバタバタしながらも、明日に備えて準備をしているところです。
ヲタのしみクリスマス2018、アドベントカレンダー24日目を担当いたします、えりんと申します。
企画ページは、ご存知の方ばかりかと思いますがこちらです。笑いあり涙あり、珠玉の言葉が詰まっているのでぜひたくさん読み返してくださいね。
【企画ページ:https://adventar.org/calendars/3354
またこのような大きな企画を運営してくださった主催のなつみ(道産)さんと、引き篭り鍵アカオタクの私のような者をこの企画に推薦してくださった親愛なるフォロワーさんに御礼申し上げます。
気の向いた時に書くだけの、長らく壁打ちのような備忘録のようなものを載せていたブログのリンクを貼っておきます。

http://erin-girls0301.hatenablog.com/?_ga=2.240569027.1766824065.1545514630-1582724376.1529069474



今回は【2018年の推し、2018年のわたし】というテーマにあわせて書かせていただきました。

※テーマの性質上少し遡ったところからはじまる上盛大な自分語りを含むので、苦手な方は自衛してくださいね。言いましたからね!!!!
それでも読みたいと思ってくださる酔狂な方がいるようでしたら、ぜひお暇な待機列や移動時間のお供にでもしてくだされば幸いです。




二年前の今日、初めて彼を見た時、光のような人だと思った。彼と出会った一年間、風のような人だと思った。彼を知った二年間、桜のような人だと思う。次の一年で彼は、どんな姿を見せるんだろう。

忘れもしないその日、私は脱け殻のようにそこに立っていました。舞台に立つことも舞台を作ることも、何かを書くことも学ぶことも、自分がしてきたことに意味を見いだせなくなって、ぼんやりと私はそこにいた。思い返せば荒削りなところも多かった当時の彼らのパフォーマンスは、ライブ会場に連れていかれてただそこに立っている私の目の前で、それでも電飾のように明滅してカラフルに映りました。小さな箱で踊る10人は少し狭そうで、初めて聞く曲に初めて見るダンスに名前も覚えきれていない10人が笑っていて、それがとても楽しくて幸せなことは分かっていて。どこを見ればよいか目移りしていた私がそれを見たのは、本当に偶然だったんだと思います。

『ありがとう』

まだ音楽は鳴っていて、彼は踊り続けているのに、その唇は確かにそう動いていました。アンコ前のあすひを歌いながら泣いていたのが嘘みたいに、さっきまで見ていた力強さや華やかさとも違う、はにかむような笑みを浮かべて、マイクを持っているのに、彼はマイクに音をのせずに確かにそう言いました。
他のアイドルグループのライブで、「ありがとうー!」と客席に向かって叫んでいるのは何度も見たことがあります。でも彼の声はこちらには聞こえなかったし、届ける意思をもって発せられたものではありませんでした。思わず私を連れてきてくれた友達の方を見遣ったけれど、彼女は別のメンバーを見つめていて、回りの人もあまり気付いていないようでした。誰にも届かずに消える、意味のない言葉。それなのに、彼は本当に大切そうに笑っていました。
明確な意味を持つ言葉なのに、それは歓声に溶けるように消えていく。その笑みが優しくて、少し切なくて、あまりに美しくて、目が離せなくて。気付けば私の目は彼を追うようになっていました。彼の名は、「とみたけ」というんだとその日、私は記憶したことを覚えています。

その年は、彼の周りが大きく動いた年でした。メンバーが卒業し、名前が変わり、株式会社ができました。そして、新規の私でも耳にするほど、オタクとのトラブルがあった年でもありました。彼はきっと、本当に想像もできないほど傷付いただろうし、だから彼自身不安定だったのだろうと思います。私はできるだけ、優しい言葉だけを使おうとしているけれど、きっと気付かないうちに彼を傷つけたこともあったに違いありません。
ただ、その時私は彼の言動で確かに、今思えばほんの小さなことだったのだけれど、傷付いたことがありました。ちょうど木枯らしに吹かれたみたいに。オタクになってから唯一この時だけ、本気で推し変を考えて。周りからもいいんじゃない?と背中を押され、この前腹を割って話した友達に打ち明けたらよく我慢したねぇ、って言われたけれど、それでもそのこと自体より、推しに対して少しでも否定的に思ってしまった自分自身に嫌気がさして、ファンミから帰ったらどうしようか、なんて思いながら韓国に向かったことを覚えています。
韓国ファンミの映像やセトリ、公式ではたぶん残ってないですよね。ホールツアー中にあったファンミライブのセトリは、私が初めて見たライブ、47ツアーのセトリによく似ていました。久しぶりに聞いたあすひは初めて聞いたときみたいに涙で震えてはいなくて、それでも暗闇から光を探すみたいに揺れていた。そして彼は、あの日と同じように言ったんです。

『ありがとう』

少し眉を下げて、溶けるような笑顔。誰にも聞かせる意図を持っていないのだろう言葉は、彼の口から息をするように溢れて、やっぱり本当にきれいで優しい人だな、と思いました。なんの見返りも求めていないそれを、何の見返りも与えられないここにいる私は、純粋なわがままで、見逃さないでいたいと思ったんです。そこにいるだけで人を幸せにできて、幸せそうに笑う人。少し迷いながら新緑の間を風が抜けていくような歌声に、私は変わらず彼を推してしまうんだと確信しました。



2017年、時に荒く、時にかすかに揺れながら、早かったりゆっくりだったり、たまには嵐になったりして、甘かったり爽やかだったり、いろんな温度と色をのせて彼は吹き抜けていったように見えました。

2018年は、そうして育てられた芽が開花したような年だったと思います。甘くて華やかな声は、周りがどんな状況の時でも堂々として力強くて、しなやかな体は葉桜となって大きく広がった薄緑の枝のようで、時おり見せる弱さすら、傷がつきやすいのにそれを知られないほどの美しさを誇る桜と重なって見えました。どんな時でも、ステージの上の彼の目はまっすぐに未来を見ているから、彼を見るたびに私は何度だって夢を見ました。
今のとみたんの夢は、MeseMoa.の夢が叶うこと、武道館に立つこと、って言ってたね。武道館に立つMeseMoa.を見ることは、オタクみんなの夢なんだ。だから、とみたんの夢は、みんなの夢が叶うことなんだよ。

初めて見た日、みんなの弟としてかわいく明るくがむしゃらに走っていた彼は、明らかにぜっちゃんの卒業の時に残された言葉で変わり、後輩ができてさらに強くなりました。ただ頑張るだけじゃない、意志を持った歌や言葉でグループを引っ張る姿を何度も見ました。その姿が、なんだか私の大好きな新撰組の魁先生に似ているなぁ、って笑ったりして。

以前は、ライブの最後の曲でだけ言っていた気がした『ありがとう』を、今では毎公演三回くらい見ている気がします。回数自体が増えたのか、私が彼を見ていることが増えたからかは分かりません。少なくともShine on you、オーロラ、ゆあざ、FWでは見たことがあるし、もしかするともっとあるのかもしれません。彼の歌はもちろん好きだけど、歌割りがない瞬間の彼を見ているのが、私は何より好きです。


一度、彼に聞いてみたことがあります。
「ライブ中に『ありがとう』って言ってる?うーん、確かに言われてみれば言ってるかもしれないけど、なぁ。」
ほとんど無自覚だったと彼は言いました。彼は意味を求めて行動しているのではないんだと、私はその時気がついたんです。こうしたら人気が出るだろう、とかではなくて、純粋に思ったままを口にして思ったままに動いているんだ、って。
自分のやることに意味があるのか、なんて考えていた自分が、なんだかバカらしくなりました。だってそうやって生きている推しは誰よりも魅力的に見えたから。
そんな彼を見ているうちに、2018年の私はいろんなことを再開した年でもありました。芝居に出たり衣装を作ったり、踊ってみたの動画を撮影したりイベントに出たり、いろんな論文を読んでみたり原稿を書いたりして。その影響で行けなくなった現場もあったけれど、何かの意味のためにやるんじゃない、やりたいから、思ったからやるのでいいんだ、と推しは教えてくれたから、そして「いってらっしゃい」「どうだったか教えてね」って背中を押してくれる推しがいたから、2018年の私はやりたいことをやりたいようにしたんだ。



「とみたん、なんか言ってない?」
ライブ中に推ししか見ていなかった妹がそう言うようになりました。
「あぁ、よく言ってる『ありがとう』ってこういうことだったんだ」
「こんなにかわいい人だったんだね」
そうだよ、私は彼のことを、控えめな人だと思っている。もっとみんなに気付いてほしいけど、気付かないでいてほしいとも思っている自分もいて。よく見ていなければ消えてしまう『ありがとう』を逃がさないために、薄桃推しはいつも彼を見ているんだから。

ストーリーの千秋楽で「台本にはない『ありがとう』がでちゃった」って話していたけれど、彼はその瞬間演技ではなくて、いたっていつも通りの彼だったんじゃないかな、って思うよ。だって彼は、いつもいつも、『ありがとう』って言っている。

『ありがとう』に始まって、『ありがとう』で繋がって、『ありがとう』に背中を押された。
幸せな気持ちばかりもらった一年でした。どんどん彼の周りに人が増えて、幸せそうに笑って、なのに、決して驕らない彼を推していてよかったと、何度思ったことでしょう。
話せる時間も、ステージの上でちゃんと見えている時間も減って、彼を前にして言いたい言葉もどんどん減りました。そこにいてくれるだけで幸せだから。月並みな言葉しか言えないから、何度も「そこにいてくれてありがとう」を繰り返しました。
私は何も求められていないし、何も求めていないまま、それでも、彼が言った数には足りないけれど、また「ありがとう」を伝えたくて会いに行くんだと思います。

彼は今日もきっと、どこかでそっと言うでしょう。今までで一番大きな会場で、視力の決してよくない私には見えないかもしれないけれど、そんな大きなところでも変わらない姿を、やっぱり素敵だと感じるはずです。

この一年間、褒めるたびに、感謝を伝えるたびに、彼は「恥ずかしいよ」と笑いました。2019年の彼は変わらないままかもしれないし、素直にその言葉を受け入れるようになるのかもしれません。大きく色づいた桜はさらにたくましくなるのか、もしかすると全く違う姿に生まれ変わるのか、今の私にはわからないけれど、どちらにせよ来年が楽しみなことには変わらないんですから。
迷路のドアを開けた先にその続きがはじまるような、とみたんが繰り返していた『ありがとう』の答えがある気がして、それに思いを馳せながら夢を見る準備をしたいと思います。


つまり何が言いたいかって、ファイナルが、それにカウコンがとっても楽しみだってことです。この一年が終わることは、次の一年が始まることだから。私も来年は環境が大きく変わるけれど、それすら楽しみにしているから。

とみたん、二年間、本当にありがとう。三年目もよろしくね。

今日は早朝寒いなかの整列になりますが、皆様体調など崩されないよう、楽しい現場になることを祈って、そして推しとメンバーとオタクにとって来年が幸せな一年になることを願って、筆をおかせていただきます。
ここまで長文をご覧いただき、誠にありがとうございました。



2018.12.24 えりん