たまねぎ。
ブログアドベントカレンダー企画
『ヲタのしみクリスマス2018』( https://adventar.org/calendars/3354 )
参加させていただいております。17日目担当の、はちまんとです。
テーマは
【2018年の推し、2018年のわたし】
はじめに
この企画を立ち上げて開催してくださったなつみさんに改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
今年、というと少しずれてしまうのですが。
ある時からしばらくTwitterのヘッダーにたまねぎの絵を使っています。
今度ようやく映像化されることになったそのコンサートは、そのグループにとってメモリアル的なものでした。
グループの歴史をおとぎ話風にたどるようなアニメの中で、
大きなたまねぎが出てきて。
その日がグループの大きな区切りだったし
ずっとヘッダーに迷っていたので、ちょうどいいと思って検索して出てきた絵画の画像を使いました。
ルノワールの「玉ねぎ」
専門的なことはあまり分からないのですが、絵は好きです。
ルノワールは、日本でもとても人気の画家。
特に女性に人気の作家で、それは作品を見たら、なんとなく分かる気がします。
絵の中の人たちは、みんな優しそうで、あたたかそうで、楽しそう。
モデルは友人や恋人や、家族だったり本人の身近な人が多い。
(この絵も壁紙に使っています)
ルノワールは「幸福の画家」と呼ばれています。
実際ルノワール本人も家族に恵まれ、友人に囲まれ大変幸せな人生を過ごしたらしいです。
他の絵も「友達と一緒で楽しいなぁ」「妻がかわいいなぁ」「子供かわいいなぁ」
という感じがして。
きっと、ニコニコしながら描いてたんじゃないかと思うような。
本当はもっと難しい事をやってるに違いなくたくさんの技や発明がある上での名画らしい、けれど、ルノワールなら「それでいいよ」って言ってくれそうな気がします。
このヘッダーにしてずいぶん経ってから、
グループのリーダーの方が
「武道館に行くことを目標にします!」ってはっきり明言されました。
それまでは「いつか」とか「個人的な意見としては・・」なんて前置きがあったり
したんですけれど。所属する会社ができて、目指せる環境が整ったのかもしれません。
私がこの、たまねぎの絵をとても気に入ったのは、
例えば、この絵をネットで検索した時に見かけた、この絵の話をしている人たちの感想。
ある絵画通の人のブログでは
構図とか時代背景とか、だれの影響とか、試みが成功してるかしてないかとか、これは晩年の作だから精彩に欠けるとか。
色々な絵を批評してる記事の最後に、おまけみたいに、このたまねぎのこの絵については
「なんか好き」
の一言で終わってたり。
ある女性のブログで、旅行先で初めてこの絵を見たといって
「うちの家族の中でダントツの人気」って
て言ってたり
「この絵の前で、なんとなく足が止まった」とか
「野菜なんだけど、なんだか花みたい。かわいい」とか
「絵とかよく分からないけど、なんか良いと思った」
とか
いろんな言葉より先に、なんだか気持ちが、ふっとわいてきたような。
いろんな物を好きになったときに、好きならば、ちゃんと知らなきゃ、って思って
知識とかにこだわってるうちに、何が好きだったのか分からなくなることもあったけど、この絵を見て、この絵を見た人たちの感想を見て、あ、こういう風に、
"なんか、いい"って、言えるのって、いいなって思いました。
私もこの絵を見て「あ、なんかいいな」って理屈より先に、気に入ったんです。
夢を追いかける代償に、
画家でなくても、叶える代償に、成功や名声と引き換えに、
不幸になってしまう例はたくさんあって、そういう例はちょっと思い起こせば、
たくさん浮かんでくると思うんですけど
その人本人にしか、幸も不幸も分からないけれど、
本当に、その代償は、避けられないものなのか。それは繰り返し、彼らのことに限らず、自分の中で色々な場面で浮かんでくるテーマでした。
(二年後の追記)
全部は選べないかもしれないし、そうして選択したから進める道もある、あった、そうして進んできた。そして後悔はしてない。
そう曇りなく言い、胸を張っている姿は、掛け値なしに、かっこいいです。
私が好きなこのグループの、この人たちは、
もともと、知りうる限り、普通の人生を送ってきた人たちで
高校生だった最年少エース以外は、すでにそれぞれ、仕事もしてたし、
夢だった仕事とか、きっと天職と言えるような仕事についていた人もいて。
人として、大人として、しっかりしていて、
この道ではなくても、きっと幸せな人生を送る力のある人たちだったでしょう。
現実のルノワール本人の幸せは本人にしか分からないし、実際、順風満帆なだけでなく、戦争や死別や、体の不自由などたくさんの苦労があったらしいです。
絵は好ましく、楽しく美しいものでなければならない、現実は不愉快な事が多いからこれ以上そんなものを増やす必要はない、という信念があったそうで、なんだかアイドルの言葉みたいに感じます。
幼い頃、聖歌隊にいて画家か歌をやるか迷ったとも聞きました。誰かの部屋に自分の絵が飾られることをとても意識して描いてたらしいです。
私は絵は好きで描くけど歌は下手で、歌える人はうらやましいと感じます。
絵も少しはそういう要素はありますが、歌は、きっと体温をそのままに、誰かに届くものです。誰かのために歌うとか、誰かの心に届いてると目の前で実感できる、そういう幼少期からの経験がルノワールの中にあって、心地よいものを分けてあげたいという気持ちが自然に出てくるのではないか、仲間の輪の中で歌を歌うように、絵を描いていたのではないか、と思っています。
だとしたら、やはり彼はとても幸せな人です。ちゃんと、自分で、迷わずに幸せになれた人です。
心地よいものを分けてあげたい、というのは、なんだか彼らに似ています。
彼らは、見てると思うのは、きっとすごく、人が好きです。
何か、ひとつ「大事なものはこれ」ということを見失わなければ
私が絵の中に感じたルノワールのように、
本人たちも、見る私たちも、楽しいなあ、幸せだなあって思えるもの中に、
この人たちの幸せもあるんじゃないかと思えます。
それは、自分と同じように「何者でもなく、どこかで同じように日常を送る誰か」だった時から、グラデーションで今の姿になっていった彼らの、もしかしたら私たちのために、一歩踏み出して、このルートを選んでくれた彼らへの、祈りであり、切なる願いであり。
どんなに大きな壁があろうと、どんなに大きくなろうと、
彼らがいつものように、やかましくなるくらい笑って走っていってくれるなら
いいぞいいぞーって見守っていける気がしました。
私が見れた短い期間の中で、彼らは何度も壁に当たっていましたが
そういう時こそ、もしかしたら本人たちより落ち込んでしまう私たちの目の前に
彼らはびっくりするくらい全力で、弾けるように飛び出してきました。
そして私たちを巻き込んで、お祭りにしてしまって、ワーワーキャーキャー言いながら
押すでもなく、引くでもなく、みんなで、よっしゃいくぞーーって爆走したら
止まれなくなって雪崩れ込んだら、壁が壊れちゃった!!これ大丈夫かな・・・?
みたいな。(私に限って言えば、たまに暴走しすぎかも。すみません)
みなそれぞれ方向性の違う聡明さを持っていて、けれどみんなどこか不器用で、
その上で、全員揃うと信じられないくらいのパワーが生まれ
壊れた壁を前にして、みんなでびっくりしながら笑いあうみたいな、
そんなことが、きっと何度もありました。
そういうところに、何度も救われました。
そんな姿を思い出すと、自分の中に、小さな火種を、勇気をもらえます。
個人だと「僕なんて」なんてネガティブなことをみんな言いがちなのに
みんなで、となると、めせもあ。!!やります!!!と強気になるところにも。
AとBとCしか選択肢がない中で、当然のように自分たちの名前がそこになくても
「AとBとC以外はダメって書いてないから、もしかしたらいけるんじゃないか?」
って閃いてしまうような圧倒的なポジティブさにも。
やっぱり盛大に転んだみたいなこともあったかもしれないけど、後からその結果を見てみると、存在しなかったはずの選択肢だったのに、これしか答えがなかったと思うくらいに、用意されたフレームごと変えてしまうくらいの、彼らの形に合わせて、大きな何かが変わっていくのが視界に入りきらないくらいの規模で、変わっていくのが見えてきてる気がする、くらいインパクトのある結果を出してしまうことも、この人たちはやってきてるんじゃないかと思います。
ただ見てただけなのに、本当に偉そうで誰なんだお前はって感じですけど。
このグループを知った当時からずーっと言ってる、説明のしにくさ。自分の中でさえままならない言語化。
けど、ひとつ分かるのは、
彼らがいると嬉しいんです。
もちろん、かっこいい、かわいい、素晴らしい、すごい人達です。
それでいて、すぐ隣りにいるような、暖かさを感じます。
その事で、私は毎日楽しいので、
ああ、私達だけじゃなく、
みんなもっと彼らの一挙手一投足で
みんな微笑んでくれたらいいのに。と思います。
そして、たぶんそれは叶うんです。
きっと、それぞれのタイミングで
「なんか、いいかも」て彼らの前で
立ち止まって、その人達は、その人達らしく
彼らを好きになって、そして、同じタイミングで、笑ってくれるはず。
いつの間にか、私達の周りには、同じタイミングで笑ってくれる人が、たくさんあふれているはず。
私がごく自然に必要としたように。
きっとそうなると思います。
「絵は見るものじゃない、一緒に生きるものだ」とルノワールは言ってたそうです。
ごく自然に、この時代に生きる人達と一緒に生きていく、彼らは自然にそうなる。
そんな気がするんです。
なんだか予言めいてしまったけど、
また、誰かの人生に寄り添っている彼らの存在を知るたびに、きっと彼らは彼らのまんまで、必要とされていくだろうと思うのです。
私が願いを込めたのは
これからどんどん大きくなる、きっと大きくなっていってくれるこの人たちが
このたまねぎの絵のように、その人それぞれの、その人だけの彼らとなって
誰かを、そっと嬉しくさせて、愛されますように。
そして、ルノワールの絵のように、世界中に愛されますように。
「君は自分の楽しみのために絵を描いているようだね」 と自分の師匠に言われて
「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ」
て返したルノワールのように。
好き、楽しい、から始めたアイドルである彼らが、彼ら自身もこれからも幸せにしますように。
武道館、行ってね!だけでなく。
そんな願いも込めて、ずっとこのたまねぎの絵を飾っています。
これもなんだかもうすぐ叶うんじゃないかと予感がするので
2年前に書いてた下書きを今年おろしてみました。