ブログ企画『ヲタのしみクリスマス2018』

イルミィブログ合同企画『ヲタのしみクリスマス2018』の特設ブログページです

はぐれたオタクの2018

 
皆さまこんばんは。
 
 
 
今回光栄にも主催のなつみさんよりお声がけをいただきまして、イルミィ25名によるブログアドベントカレンダー企画「ヲタのしみクリスマス2018」の18日目を担当させていただきます、ちよ(@otiyo3)と申します。
 
 
MeseMoa.の皆が大好きで、ほぼ箱推しのような気分で過ごしていますが、ことパフォーマンスに関してはどうあがいても目が吸い寄せられてしまう気まぐれプリンスさん推しです。
 
【企画ページ:https://adventar.org/calendars/3354
 
とてもユニークで素敵な愛にあふれた文章が毎日アップされていますので、これまでもこれからも是非じっくりとお楽しみ下さい!
 
 
 
さて私、普段はTwitterで好き勝手沸き散らかすか、たまに動画を見てはブログでやたらと長い感想を書いたりなどしております。
とはいえイルミィとしてブログを書き始めたのは今年に入ってからのこと。
 
今回のテーマは【2018年の推し、2018年のわたし】ということなんですけれども、
 
今年は私にとって、ブログをはじめとして彼らを推すにあたっての『夜明け』の多い年だったように思います。
 
具体的な話をする前に、ひとつ前置きとして私自身の話を少々させてください。
 
私は北海道に住むしがないオタクです。
そして所謂「出戻り」と言いますか「返り咲き」と言いますか、とにかく彼らからいったん離れて戻ってきた経緯があります。
なので知識として知っていてもすっぽりと「実感」として抜けている部分がありますし、彼らのことは結成当初から知っていますが現場に初めて足を運んだのは去年のホールツアーです。
ずっと見てきたわけでもなく、たくさん見てきたわけでもなく、強いて言うならタイミングよく踊り手時代~結成前後の彼らの動画を夢中で見ていたのは事実ですが、正直自分の「ファン歴」の数え方がわかりません。(はっきり戻ってきたと言えるのは去年の4月ごろです)
そんな私が何を語れるのか。文章力も経験も豊かな錚々たるメンバーの中で、いったい何が。正直私なんかでいいんだろうかとあらゆる面でビビり倒しているんですけれども。
 
でもお引き受けしたということは私にも何か「言葉にしたいこと」があるからだ、と思いました。彼らにはたくさんのファンが居て、その一人一人が共通して「彼らのことが好きである」のは事実ですが、逆に言うとそれ以外の同じところのない、それぞれ違った存在であるのだから。比べる気持ちは置いておいて、私は私の目線で、私の生活の中で彼らを好きで居たということを、不肖ながらお話しようと思います。
 
 
 
さて、私が2018年何を初めて経験したのかといいますと。
 
 「初リリイベ」「初撮影会」
 
です。
 
今年の9月初めに、北海道では大きな地震が起こりました。彼らがツアーとリリースイベントをこの地で予定していたのはその月の下旬。余震の影響などもあり、一時は開催すら危ぶまれたのですが、彼らはやってきました。
 
ツアーでは何度か訪れてくれていた北海道ですが、リリースイベントという形では初めて。加えて私も「リリースイベント」というものに自体参加するのは初めてでしたので、何もわからないまま随分と早く会場であるアリオ札幌に到着しました。そしてその日初めてお会いするフォロワーさんに挨拶をしながらそわそわうろうろと数時間を過ごし、まずはリハーサル。
最初混んだ1階を避け3階から見下ろすように眺めていたのですが、やっぱり横からの角度が欲しくて途中から1階に降りました。優先エリアはあっという間に満席になってしまったけれど、運よく見通しの良い角スペースに立つことができ、そのままそこでフリーライブの開催を待つことになりました。
見上げると、1階だけでなく2階にもたくさんの人がホールを取り囲んでいて、皆興奮と期待に声を弾ませていました。それが幾重にも折り重なってそよぎながら天井までびっしり空間を満たしていて。彼らが通路を歩いてくるのが見えた瞬間、その空気が一気にぎゅうっと凝縮され華やかな熱を帯びた歓声となって四方八方へと吹き抜けたのを覚えています。
 
 
ほどなくしてパフォーマンス開始。
その時まであまり意識していなかったのですが、この端のポジションというのは我が推し気まぐれプリンスさんの定位置側。
やった~~~~~!!大正解~~~~~~~!!なんて最初は気楽に沸いて見始めたのですが、しばらくするうちに、ふとあることに気がつきました。
 
はっとして口を噤みます。これは、なんだろう。
一生懸命目の前の光景を目で捉えながら、その正体を追いかけました。ペンライトを握る手にじんわりと汗が滲みます。呼吸が早くなって、不安にも似たざわざわとした感覚が波のように胸の中心に集まり始めたときにわかりました。
 
これは私の心臓の音だ。
 
耳の中まで満たすような大きな心臓の音。脈うち激しく内側から突き上げるようなそれは唐突に何かの蓋を破るようにわっと溢れ、血管を通ってあっという間に全身を駆け巡ります。頭で思うより先に、喉と鼻の間が急に焼けたように引きつりました。
 
あ、私このために生きてたんだ…。
 
この鼓動にはそう思わせるほどの説得力がありました。拠り所という言葉では足りないくらい、細胞全部が「これだ」と叫んでいました。
瞳いっぱいに彼の姿を映し込みながら、私は芯から全部ほどけてしまいそうな心地になって、それをこらえるように唇を噛みしめ、眉間に力を込めて踏ん張りました。
 いつも動画で、Twitterやブログで、配信で、その姿を毎日繰り返し見ているはずなのに、目の前にいる彼の姿はやっぱりそのどれとも違っていて。
 
ライブハウスやホールのステージの明暗とは違う、隅々までさっぱりと明るいショッピングモールの照明に照らされた彼は、圧倒的にみずみずしく鮮明な存在感でそこで踊り、歌い、呼吸をしていました。
 
ひとつひとつの手振りが、表情が、足さばきが。白い首筋に浮かぶ汗、空気を捌いて跳ねる髪の束、自信に満ちて曲線を描く口元、繊細に翻る手のひらと指先が。やさしく震える喉、仲間と目が合ったときの笑顔、会場を丁寧に見まわす視線が。ひとつひとつが迫るようで。もっと、もっとと心が叫び、目を離すことができませんでした。
 
理屈の介入する余地なく、「もっと」を追い求める感覚は、なにかと抑え込みがちな私にとって唯一といっていい「自由」な体験だったのです。
 
 
思えば、チケットをとってからというもの、辛い日も、悲しい日も、疲れた日も。
Twitterを開いてみれば彼らはそこに毎日の出来事を綴り、ニコニコ動画YouTubeでは様々な動画で魅力を迸らせていました。私はそれを見ては「9月にこの人たちのライブがある」「MeseMoa.を見られる」と奮い立つことができました。
彼の躍動する様を見ながらそのひとつひとつの記憶がはらはらとこぼれおち、どこか遠いところへ風でさらわれていくような感覚に陥って、ため息が漏れました。(続いていた余震も随分と私の心を押しつぶしていたことがこの時わかりました)
そして少しずつ、気づかないうちに擦ったり、どこかにひっかけたりして破れ、萎んでくたびれていた心の欠けがぴったりと塞がり、キラキラとした何かが流れ込んで膨らむのを感じました。
 
推し、ってこういうことだ。
生で見るって、とんでもないことだ。
 
今まで知らなかったわけではないのに、新たな言葉のように噛みしめて。
 
同時に、
あぁ、アイドルって。
MeseMoa.って、本当に凄いなあ…。
 
そんな、文字にするとあまりに稚拙な感想を抱きながら笑うような泣くような、おそらく誰かが見たらふき出してしまいそうな変な顔で最後まで私はステージを見つめていました。(ステージからは見えないはず)(見えない設定でお願いします)
 
 
『画面の向こうじゃない 君の目の前で 僕らは生きてる』
 
 
そういえば、初めてリリースしたシングルで、彼らは確かにそう歌っていました。
今年の9月にあのステージで歌い踊る彼らは「生命」そのもので、それは私の「希望」の形によく似ていました。
 
彼らは、あの頃から変わらず、体全部を使って「生きてる」姿を見せてくれていて。そこにすべての答えがあって、それが私の「生きてる」という体感にダイレクトに繋がっていたのです。
 
まさかこんな時間差で、そのことばの威力を受け止める日がくるなんて。あの時は思いもよりませんでした…。
 
「出戻り」と最初にお話しましたが、私が離れていたのは彼らのところからだけではなく、オタク全般からでした。きっともう戻ることはないと思っていました。
詳しい理由については省きますが、私生活がとんでもなく忙しくなってしまったのが大きな要因です。それに対応するために勝手にあれこれわかった”大人”のつもりで「もうオタクは卒業しなくては」と思い込んだのです。
目を閉じれば、耳をふさげば、声を殺せば。
「好き」を思うように味わうことができない葛藤ごとなかったことにして逃げることができる、と思ったのかもしれません。
 
今となってはちゃんちゃらおかしいんですけど。
 
ほんと、何言ってるんでしょうね…。愚かであるとしか言いようがないです。結果的にそれは数年で終わりを告げたのですが。
あの頃の私に会えるなら言ってやりたい「魂がオタクなんだから、そんなとこちぎろうとしたら大量に血液的なものが出てしぬからやめとけ」って。(言葉選び)
振り返ってみると本当にその時期というのはなんとか日々を過ごすことはできていたものの、何かが常に少しずつ漏れ出ていくような、気づかぬうちにゆっくりとすべてのものが色彩を失い緩慢になってゆくのをただ見ているような感覚でした。
 
「好き」に夢中になることが、拙くても言葉にすることが、怖がらず誰かと共有することが。こんなに心を熱く、毎日を豊かにしてくれることに当時はまったく気づいていなかったのです。
なので、オタクをやめる直前の好きなものへの感覚は今とは全然違います。
それまでは基本的に自己完結型というか、ひとり行動も好きな人間なのでひとりで好きになって、ひとりで足を運んで、まあちょっと零れる気持ちをネットなどに壁打ち気味に吐き出して、おしまい。仲間や共感がまったくほしくないわけではないですが、まあそれで十分満足。みたいな。
 
今はできるかぎりもらった感動を表現したいし、共有したいし、出来る限り広めたいし、様々な形でありがとうって伝えたい!!!
少しだってその片鱗を書き記すことによって、「なかったこと」になんかしない。オタクじゃない私なんて私じゃない!!!仮初めの姿で生きてなんになるのか!!!!!!!!!(GEEKDOM歌いながら涙目になるオタクです)
もちろん断然今の方がべらぼうに空気がおいしいです!!!!!!!!!!!
 
は~~~~~~~~~~~オタクライフ最高最高最高~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
 
…。(余韻)
 
 
 
 
急にテンションが上がってしまいましたすみません。
そういった気持ちでこの記事も書かせていただいているところがあります。
とにかく、そんな心境の変化もあってじわりじわりと私は独り言ちるようなツイートから、それを目に留めてくれた誰かと語り合うようになり、こんなにも140文字を連投するくらいなら、とブログを書いてみることにし、去年のホールツアーは単独(正確には直前になってリア友を連れて行きました)でサッとライブだけ見てスッと帰るだったのが、フォロワーさんの励ましなどもありつつ、今年はとうとうツアーに組み込まれている「撮影会」に参加しよう!!!!!という決意にまで辿り着きました。
 
「初撮影会」
 
とはいえここまででえぐめの長さになってしまったのでこの話の詳細はいつか私の個人的なブログででも語ろうと思うのですが。
 
私は接触イベントに興味はあるものの、どうにもあの特有の、洪水のような多幸感の後に訪れる謎の後悔といいますか、自意識過剰さと自己肯定感の低さから沸き起こる悪酔いみたいな二日酔いみたいな気持ちを拭いされないのがつらくて。
でもどうしても、自分の口から、彼らに「ありがとう」を伝えたくなってしまったのです。なので今回のツアーで、初めて撮影会に参加しようと決意しました。いくつもいくつも、彼らがいたから和らいだ痛みがあって、彼らがいた表現できた感情があって、彼らがいたから出会えた人たちがあって、彼らがいたから見られた景色があったから。
 
結果として、目の前に立ったところでそれが本当に伝わったかどうかはわかりません。
 
けれど、ともかくその5文字が言えて、笑えて、笑顔が見られて。
心のどこかに蔓延っていた怯えはまったくの杞憂に終わりましたし、2部制のライブをこなした後でどう考えても疲れていないわけないのに、彼らはあたたかく、やさしかった。病的に接触が怖かった私が「酔い」は「酔い」でも「ほろ酔い」のまま過ごせていることが、本当にしあわせです。
 
 
本当に、とても。
 
 
こうして、彼らを推すにあたって私の中の色々なことが変わったと感じる1年でしたが、ふと「変わらないこと」を思うことがあります。
 
それは彼らのデビューシングルを購入したときの気持ちです。
 
初めてアイドル”気取り”でCDを出した彼らは、どこか気恥ずかしそうで、でもとても無邪気にはしゃいでいるように見えました。私はその時彼らの笑顔を見て「この人たちが一緒にいる時間が、できるだけ長い間続くといいな」と思いました。そして微々たる力だったとしてもこのCDの売り上げが何らかの形で、彼らの関係を1秒でも長く繋ぎ止める一因となってくれたら。なんて。おこがましくもそう願いました。
当時はそれぞれ学生だったり社会人だったりの兼業でしたし、生活しているところもバラバラで。いつまでも皆が揃って「アイドル気取り」が続くわけがないと感じていた私は、そんな風に思っていました。
 
とみたんが加入したのは密かに願っていたことでもありとても嬉しかったです。でもまさかそこからにーちゃんが離れたと思いきや再び帰ってきて、皆が”気取り”ではなく「職業としてのアイドル」を選び、ぜっちゃんが卒業したと思ったら自分たちの会社を立ち上げて、*ChocoLate Bomb!!やfixsodiaと肩を組み、さらにオーディションをして後輩グループ「パンダドラゴン」ができたり、*Choco baby!!や研修生を抱えるようになるなんて全っっっ然思いもよりませんでしたね…。
 
今となって言えるのは、
本当、私がわかってたことなんてちっともなかったな!!!!!!!!!!!!!!
オールイン全額没収!!!!!!!!!!スカンピンで身包みはがされても文句は言えない!!!!!!!!!正直すみませんでした!!!!!!!!!!!!!!!土下座!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ってことですね…。
 
 
 
だから、もうあれこれわからない未来を天秤にかけるのはやめにしようと思います。
 
『諦めることだらけの日々が大人じゃない』
 
Shine on youで彼が歌う歌詞は、まさに今の私にぴったりと沿うようで。
諦めずに自分の「好き」と向き合って生きていきたい。という望みを握りしめる勇気になりました。
もちろん、先のことはわからないし、また私の周りの景色も変わるかもしれませんが、大事なのは「今」を連ねることだから。
 
彼らの状況もどんどん変化して、目標もどんどん大きくなっていて。
ただ「無邪気に」とはいかなくなった彼らにかかるプレッシャーや日々抱える負担はその重さや種類や数が刻刻と変わっているのだと思います。
 
でも彼らは今も笑顔で、手を取り合ってステージに立ち続けてくれている。
 
「今」彼らがそこにいることがとんでもなくありがたいことだと感じます。それを一生懸命大事にしたいというのがすべてです。
当たり前のことなんてきっと何一つなくて。下手に触れたら壊れてしまうかもしれなかった奇跡の積み重ねで絆が編まれていって。今までもそうやって夢を手にしてきた彼らは、これからもきっと思いつく限りの全てを注いで、武道館へ行くのです。
 
私が彼らにできることが果たして本当にあるのかどうかだってわからないんですけど。
ままならぬ日々の葛藤は尽きません。もっともっと彼らの「生きてる」姿を自分の目で見たいし、もっともっと空間を共有して直接的に応援したいと地団駄を踏むことが少なからずある毎日です。あれもこれも次々と欲しがったって、叶わぬことが多すぎるけれど、何を並べ立てたって結局言い訳にしかならないのもわかっています。 
でも今は、そんな理由で逃げるよりも、今を自分なりに楽しみながら大切にコマ送りで見守りたい。
 
彼らが離れ離れになってしまう日が、いつかくるのかもしれないとわかっていても。
 
私は相も変わらず、
 
 
 
「一秒でも長く続きますように」
 
 
 
 
と願いながら、来年の彼らの笑顔を思い描いてしまうのだから。